『Ibasyo』を読んだ話
岡原巧祐の『Ibasyo 自傷する少女たち”存在の証明”』を読んだ。
この本は、自傷する少女たちを追ったドキュメントのような書籍だ。著者の岡原さんは、カメラマンで書籍の中に密着した五人の少女の写真も含まれる。
自傷。すなわちリストカットやオーバードーズなどを指す。鬱の症状に悩まされていたりする人も少なくない。
私は自傷行為について前もって知識を持っていなかったから、自傷行為は詩に近づくための行為だと思っていた。しかし、実際はそうでない場合もあるらしい。『切ると落ち着く』『血を見ると落ち着く』。理解できない記述だったが、著者である岡原さんがそれを強制的に止めないことにも驚いた。
もし目の前に今から手首を切ろうとしている人がいて、それを止める人はどのくらいいるのだろう。私はきっと止めるだろうと思う。しかし、岡原さんは止めなかった。その姿を見て、シャッターを切ることもあったし、手当てをして『落ち着いた?』と声をかけた。
この記述を見て、この著者はなんて薄情なんだと思う人が多いかもしれない。しかし岡原さんは知っていた。止めればさらに感情が抑圧されてしまうことを。彼女たちに与えられた権利が、そこでは「切る」という行為だった。
自傷を日常的にしていた彼女たちは、暗い過去、ないしは現在を送っているものだった。家に金をとりに来るやくざ。レイプされた過去。鬱がひどく職を転々とする日々。どれだけ自分が裕福とまではいかなくとも、悩みの少ない環境に置かれていたかが分かる。
彼女たちが密着取材の間でどう変わったか、それはこの本を読んだものの特権として胸に秘めておく。この本を読み終わったとしても、彼女たちのストーリーは終わらない。私たちと同じように、この世界で一瞬一瞬を生きている。逆に、私たちが笑っている間、苦しんでいる人がいる。この事実を重く受け止めるべきだと強く思った。
この本には学校の図書館で出会いました。まだ新しい図書館で、書籍も少ない中、初めて借りたのがビジネス本とこの本でした。なぜこの本に惹かれたのかは分からないし、周りに自傷行為をしている人はいなかったから何かに触発されたわけでもなかったし。ただ、はっきりと言えるのは最近私がノンフィクション映画やドキュメンタリー番組に関して非常に敏感になっているということ。それが今後の人生に関わるかもしれないし、全くかすりもしないかもしれないけれど、今私はこの世界を見ようとしている。そんな気がしてなりません。
この本を刊行するまで長い時間を費やした岡原さん、取材を受けた少女たちに感謝を。
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