9 「英語を」学ぶじゃなく、「英語で」学ぶ。
求めていたのは、英語で勉強すること。
特殊なバイリンガル教育の学校の子どもたちは、人種や学年、学校外の子かどうかもあまり気にしないので、 娘はサマースクールの初日から、難なく溶け込んでいました。
2週間のサマースクールが終わる頃には、すっかりクラスに馴染んで、たくさんのクラスメイトと仲良くなっていて。
最終日には小さな体育館で学んだことを発表する会が行われ、娘は普通に生徒の1人として舞台に立っていました。
パワーポイントを使い、マイクを持って発表したり、初めて触れたバイオリンを弾いていたり。
これこそ娘が求めていたものだと、この時私もはっきりわかりました。
英会話とか英文学とか、英語が勉強したいんじゃない。
「英語で」勉強したかったんです。
それを本人に言うと、
「そう、英語でお勉強したいんだよ!」
と嬉しそうに言い、自分でもよくわかったようでした。
「サマースクール終わるの嫌だ〜、この学校に通いたい〜。
〇〇たちと一緒に勉強したい〜。」
と言い出しましたが、「はじめに」に書いたように、こんな特殊な学校は文科省に認可されておらず、助成金が出ないため学費は1年に180万円。
とても無理だからと説得して、
「また来年の夏に参加しようね。」
と約束したのでした。
英語を評価されないから、恥ずかしくない。
「来年も、〇〇たちに会えるかな。
その時は、みんなみたいにもっとペラペラしゃべれるようになってたい。」
新たな目標ができた娘は、NHKのラジオ講座にもさらに熱が入り、小学4年生になると「基礎英語」から「ラジオ英会話」へと進みました。
親がそうさせたわけじゃありません。
本人がもう基礎英語は大丈夫、とさらに上のレベルに進むことに決めたのです。
「ラジオ英会話」は高校生以上向けなので、中学生向けの「基礎英語」よりもずっと難しい内容。
でも、そのぐらいをマスターしないと、あのクラスメイトたちには追いつけない、と娘はむしろやる気に燃えて、毎日真剣に取り組み始めました。
テストでいい点を取るためではなく、大好きな先生やクラスメイトとコミニュケーションができるようになるための勉強なので、苦にならないよう。
言葉って、本来そういうものじゃないでしょうか。
私たちは学校で英語を学ぶ過程で、いつもテストで正しいか否かを図られ、成績をつけられ、評価されることに慣れすぎているのでは。
そのため、英語を使うと評価される、だから間違ってはいけない、という観念が刷り込まれてしまっている気がします。
間違った英語を話すのはよくない、恥ずかしい、と中学高校の6年間英語を勉強したはずでも話すのをためらってしまう。
話さないから話せるようにもならない。
でも娘は、サマースクールの間、間違っているとか正しいとか、いちいち評価されることはなかったようです。
「先生に何かお願いする時は、"Can you〜?" って言った方がいいんだって。
"Could you〜?" だともっと丁寧になるけど、"Can you〜?" でいいみたい。」
などとその場で学びながら、ただただ英語を使ってコミュニケーションし、勉強する楽しさを教わり、英語を使うことがもっと楽しくなっていました。
英語に関しては、順調に進んでいるように見えた娘。
しかしこの頃から、大きな問題が起きてきていました。
普段通っている公立小学校の勉強に、支障が現れてきていたのです。
その時の私はまだ、娘に学習障害があることに、まったく気づいていませんでした。
「英語で勉強したい。」
実はそれも、そこに関連があったことにも。