わたしが鳥だった頃
祈りを忘れたような空から
光の滴がこぼれ落ちて
地面に浸みこむと
陽気なカラスのダミ声に誘われて
命が庭から顔を出し
旅に乗り出す
ちいさな負けと
ちいさな勝利を繰り返し
むごたらしいほど時間をかけ
いくつもの耕作地や渓谷を越え
希望の海に何度も溺れそうになりながら
追憶の島の方へと
漂っていった
絶望の崖を
産卵に向かう蟹の群れのように
よじ登り
森林境界線を越えるあたりで
命は文字になり
移動式書棚に保管された
膨大な書物の頁に分け入り
その始まりを誰も知らない物語の隙間に
潜り込んで休息する
まるで初めからそこに居たかのように
火の鳥として
高句麗の朱蒙の旗印となり
翼を広げていた三足カラスよ
熊野では
神倭伊波礼毘古命を
道案内したヤタガラスよ
村の電線にとまって
ダミ声をあげている
ハシボソガラスよ
人間の真似をして
駅の自動販売機から
切符を出そうとしている
ハシブトガラスよ
わたしは
プールサイドにしがみついて
肩で息をしているただの人間だ
あるいは
淀んだ自己満足からなる有機物の塊だ
遺伝子情報は持っているが
わたしは情報でない
今のところ二足歩行し
霊長目ヒト科に分類されているらしい
わたしは
いつまでも分類されたままでは
いたくない
仔豚のように
丸焼きにされたあげく
陶器の皿で切り刻まれるのは
ご免だ
わたしがまだ鳥だった頃
空の色が今とは少し違っていた
地平線までの距離を測ることが出来た
道に迷うことはなかったが
アリが地上を這っていることは知らなかった
カラスは見かけなかった
虫に食われた頁の上で
休息している命よ
電話がつながらない書庫の中で
朽ち果ててしまいそうな物語に
いつまでも貼りついてはいられないだろう
長い旅の一部始終を
そろそろ
語りたくなってきたのではないか
(詩集『フンボルトペンギンの決意』第1章「旅程」より)
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