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【乱読一考】ルドルフ・シュタイナーは「悪」をどう考えていたか "Influences of Lucifer and Ahriman: Human Responsibility for the Earth"

最初に言っておきますが、私はこの本をまだ読んでいません。というより、今日、この存在を知ったばかりです。

しかしこのnoteは、私の頭の中から滝のように流れ去っていく情報を少しでも止めたい、という意図で書いているので、今日はこの本のことを少々書かせてもらいます。

ルシファーとアーリマンの対峙

これは『ルシファーとアーリマンの影響:地球に対する人類の責任』というタイトルの本です。レビューや解説を読んでいくと、シュタイナーはこの霊的な存在であるこの2者を、対峙的な悪として語っています。

ルシファーが象徴するのは、高次の存在からの精神的誘惑。いわゆる「スピリチュアリズム」に傾倒し、夢の世界に生き、地に足がつかなくなるように人を誘惑します。これをシュタイナーはExpansion(拡大)と表現しています。

一方、アーリマンが象徴するのは、物質主義とテクノロジーへの傾倒、スピリチュアリティの否定、乾いた知性。シュタイナーはContraction(縮小)と表現しています。

このルシファーとアーリマンの間のバランス点として語られているのが、Christ Impulse。これは日本語ではキリスト衝動と訳されているようですが、よく分かりませんよね!? 私も分かりませんが、"Christ Impulse"というタイトルの本の紹介を見てみると、「人類の進化をもたらす主観的かつ普遍的な力」のことのようです。

人間は、ルシファーとアーリマンの両方に引っ張られながら日々暮らし、決断し、行動しているけれども、このルシファー・アーリマン・キリストの関係を知り、自分の生き方に反映することによって、バランスをとった生き方ができるようになってくる、というのがシュタイナーの主張ということ。

そして、ルシファーとアーリマンは人間にとって実は必要な存在であり、この存在をどう内在化して付き合っていくかについて語っているらしいです。

ざっと解説を読む限りには、納得できそうな内容ですよね。

とはいえ、シュタイナーの考え方や著書に触れたことのない人には、難しかったり、意味が分からないようですし、キリスト教の人から「全く受け入れられない」というレビューもありました。

巨大な彫刻 Representative of Humanity

ところで、なぜ私がこの本を目に留めたかというと、私の勤務しているシュタイナー幼稚園の教員会議で、ロシアによるウクライナ侵攻のことが話題になったからなのです。

およそ100年前、第一次大戦、第二次大戦と政治的に不安定だったヨーロッパで、シュタイナーは人の生き方について思考し、語っていました。

1922年、シュタイナー自身が設計したアントロポゾフィー協会の本部ゲーテアヌムが完成・オープンしました。このゲーテアヌムは、14年の月日をかけて建造されたものでしたが、同年12月31日、何者かによる放火と見られる家事により、焼失してしまったのです。

しかし、この時に、ゲーテアヌムに置かれていた高さ9メートルにも及ぶ巨大な木の彫刻 "Representative of Humanity" は焼失を免れました。

この彫刻が、こちらです。

from WikiCommons

私の同僚の先生たちは、戦時のシュタイナーの思想、ちょうど100年前にゲーテアヌムが焼失したことなどを話していて、それから「あれよね」と言って、片手を上げ、片手を下げるポーズをしていたのです。

私は知らなかったので、「それは何?」と言ったら、「キリストがルシファーとアーリマンを抑えているところの巨大な彫刻よ。燃え残ったのよ」ということだったのです。

この彫刻のタイトル "Representative of Humanity" は、ウィキペディアなどをみると、『人類の代表者』と訳されているようですが、ルシファー・キリスト・アーリマンのそれぞれが表していることを考えてみると、人間としての成長・進化を達するために必要な『人間性の表象』という意味なんじゃないかなあ、と思いました。

予言:アーリマンの受肉

さて、この本は『悪の秘儀ーアーリマンとルシファー(シュタイナー天使学シリーズ) イザラ書房刊』として日本語訳も出ていて、その見出しは以下の通りです。

第1章 人間との関係におけるキリスト、アーリマン、ルシファーの本質
第2章 キリストの行為と、キリストに敵対する霊的な力としてのルシファー、アーリマン、アスラについて
第3章 ルシファーとアーリマンの受肉について
第4章 アーリマンの学院と人類の未来に関する三つの予言

この3章と4章は、シュタイナーがルシファーやアーリマンを、霊的な存在として捉えているのではなく、実在する肉体を持ったものと考えていることを示しています。

そして、この本が書かれた時点では、アーリマンはまだ受肉しておらず、21世紀に入った時に現れ出てくるとか。

今のウクライナ侵攻も、アーリマンの登場に影響を受けているのでしょうか。

時節柄、大変興味深い内容ですが、今読むと、ルシファーの方に引き寄せられすぎそうにも思います・・・。なので、私は、いつか時期が来たら読むことにしようと思います。

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