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【日本神話】水・どくタイプの妖怪「牛鬼」の正体はクジラ説を唱えてみる part2

part1では、牛鬼の特徴を説明した上で

①そもそもなんで牛なの?
②牛鬼伝説が西日本に多いのはなぜ?
③なぜ牛と海辺や淵が結びつくの?
④なんで毒攻撃なんて思い付いたの?
という4つの謎を挙げました。

part2ではその謎をもとに牛鬼の正体に迫ります。

牛と西日本の関係とは?

まず、
①そもそもなんで牛なの?
②牛鬼伝説が西日本に多いのはなぜ?

の2つを考えてみましょう。

これは「西日本は牛の伝来が早く、牛も妖怪のモチーフにされるのが早かったのでは?」という事で説明できそうです。

牛は古墳時代に中国から伝来したようです。

呪術や祭祀に牛の頭骨が使われていた痕跡もあり、
鎌倉時代の広島県の遺跡(芦戸千軒街)からは頭骨の無い牛が出土しています。

肉食が禁止される平安時代以前は、年老いて農耕に使えなくなった牛を食べることもあったでしょう。

身近な存在である反面、祭祀にも使われる神秘的な生き物。

そんな牛へのイメージから人々の脳裏に浮かんだ「人に逆襲する怪物」が、牛鬼の発端の一つではないでしょうか。

牛鬼は牛の逆襲なのか?

(逆にエミシの頃から馬の文化が強い東北では、馬頭観音やオシラサマ信仰で馬が出て来ます。

妖怪や神仏のモチーフとなる動物に、地域性が出るパターンはありそうです。)

牛鬼の正体はクジラ説

しかし、牛鬼が単に牛がモチーフの妖怪だとしても他の特徴とは結びつきません。

特に「海辺に出現する」特徴。

ここで「牛鬼の正体はクジラではないか?」という説を唱えてみたいと思います。

(アカデミックな裏付けは無い、あくまで発想の転換なので、飛躍があることはお許しください。)

古代の人々は鯨に何を思ったのか?

海に出現する巨大な生き物といえば、
やはりクジラです。

日本では縄文時代から捕鯨をしていたらしい事が考古学的にも確認されており*1
当時の海辺に住む人たちにとって、
クジラは決して想像上の存在では無かったでしょう。

しかし、内陸部に住む人たちにはどうでしょう?

縄文時代には山間部の集落まで、クジラの骨はもたらされていたようです。*2

TVも写真も無い時代に、クジラを見たことが無い人に、クジラをどう説明すれば良いのか?

身近な大きくて黒い動物にたとえて
「牛のようで、さらに大きくて…」
と説明したとしたら?

(それ以外は、デカい魚くらいしか言いようが無い気がします。)

それを聞いた内陸の人々はどんな生き物を想像したのでしょう?

牛のような怪物を想像したのかもしれません。

・実は親戚…牛とクジラ

牛とクジラは生物学的には同じ「鯨偶蹄目」に属し、実は近い存在です。*3

クジラの物証が内陸に伝わる場合の多くは、骨になった状態だったのではないでしょうか。

巨大な骨の、それも全身骨格でなく
一部の骨を見た人が「これは、牛みたいだな」と思ったとしてもおかしくはありません。


*4 牛の頭蓋骨


*5 クジラの骨格標本

当時の人々にとって、牛は骨や血肉を目にする機会のある数少ない大型動物だったはずです。

海から上がった鯨の骨とこうして結びついて行ったとも考えられます。

毒タイプの攻撃は鯨の死骸の匂いでは?

牛鬼=クジラと考えると、毒の話も説明がつきます。

あれは、打ち上げられたクジラの死骸の放つ匂いが元ネタなのではないでしょうか?

現代でも打ち上げられた鯨の死骸が悪臭騒ぎになることは少なくありません。

鎌倉期には鯨の死体が三浦崎に上がり、
油が取れたが異臭が街中に満ちたという記録もあるそうです。*2

浅草の寺に牛鬼が出たという話…

浅草の真横を流れる隅田川には、江戸時代まで鯨が侵入していました。*6

「お坊さんが食堂に居て牛鬼の毒気にやられた」という伝承は、ひょっとすると、打ち上げられた鯨の傷んだ肉を食べて食中毒を起こした事が伝わったのかもしれません。

消えた鯨信仰の痕跡?

さいごに、もう一つだけジャンプを…

牛鬼のルーツが鯨だとすると、
牛鬼は消えた鯨信仰の痕跡なのかもしれません。

「古事記や地域の伝承で退治される妖怪は、実はその地に古来根付いていた土着の神や信仰を現しているのではないか?」という説があります。

神功皇后らと戦い、バラバラにされてしまう牛のような鬼。

『今昔物語』の毘沙門天の像に倒されてしまう牛鬼…etc.

これらはまさに、大和王朝中心の神話体系や仏教によって、土着の鯨信仰が倒された事の名残なのではないか…。

そう考えてみるのも面白いかもしれません。

古代日本の伝承を調べていて疑問なのは、
鯨に関する信仰が「無い」事です。

あれだけバカでかいモノが眼前の海で泳いでいるのに、八百万の神好きの昔の人が、信仰しなかったのも違和感があります。

(もちろん、恵比寿信仰や鯨塚はありますが、古代よりは新しい信仰なようです。)

実は、西日本を中心に古くは鯨信仰があったのだとしたら?

牛鬼をバラバラにしたエピソードは、敗れた鯨の神(信仰)が復活しないように、という呪術的な要素を現していた、とも考えられます。

さて、いかがでしたでしょうか。

毒・水タイプの妖怪「牛鬼」
その横顔には、古代の文化や信仰が隠れているのかもしれません。

出典

*0 トップ画像
佐脇嵩之『百怪図巻』

*1 平戸市生月町博物館
https://www.hira-shin.jp/shimanoyakata/index.php/view/38

*2 一般財団法人 鯨類研究所
https://www.icrwhale.org

*3 より厳密にはクジラは鯨偶蹄目の中でもキリンやカバに近い存在とされています。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/鯨偶蹄目#:~:text=鯨偶蹄目(くじらぐう,されることもある。

*4 NPO法人獣医系大学間獣医学教育支援機構
https://www.vp.veteso.jp/study/skeleton.html

*5 萩博物館
https://www.city.hagi.lg.jp/hagihaku/event/2111_tan_q_kujira/index.html

*6
http://www.catv296.ne.jp/~whale/sumida-no-hogeiema-11.html

*他
話の流れで割愛しましたが、
牛鬼が海だけでなく淵(川の深い所)にも出現するのは、昔の人が鯨を海水のみに住むと厳密には考えていなかったからかもしれません。

万葉集では、いさな(鯨)を
海や湖の枕詞として出しますが、
まさにここには、淡水と鯨の結びつきが見られます。