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私見、お寺の現状マップ

前回、前々回の記事(下記リンク)で、僧侶の松本紹圭さんとの対話をシェアしました。それを経て、現在自分が考えていることを書いてみたいと思います。


【松本さんとの対話のポイント】
・「日本のお寺は二階建て」論の再確認
・一階部分(先祖供養)が危うい状態が続いている
・一階部分の意味づけが新たに必要かもしれない
・お寺によって、環境や人間関係等の事情が異なり、危機感レベルはさまざま
・いずれにしても、このまま放っておくと寺は廃れる
・お寺は地域のサードプレイスとしての可能性がある
・私(古川)が法話を重視するなら法話を推していくのもよいかもしれない
・お寺まわりのビジネスは競合もいる。自分ならではの強みを生かすといい

だいたいこんなところかと思います。

本当は、松本さんに「一階部分(先祖供養)の新たな意味づけ」についてもう少しお聞きしたかったのですが、特に話の後半は自分の仕事相談みたいになってしまってあまりうかがえませんでした。しかし、一階の意味づけについてはすでにご本人のnote等でも言及されていますし、また現在いろいろとお考え中なのだろうと思います。世界レベルでの対話ができるお坊さんは数少ないと思うので、今後も僧侶/Ancestoristとしての松本さんの活動を追い続けたいと思います。

さて、京都での貴重な対話を胸に広島へ戻ってきましたが、相変わらず頭の中はお寺や仏教のことでいっぱい。夏休みの子供たちの世話をしつつ、自分の仕事を含めた今後の寺と人との関係について考え続けていました。

……で、何か答えは出たのか?

もちろん出ていません。
むしろ、いろんな意見に触れてどうすればいいのかわからなくなってしまいました。

この1年ほどで、寺や仏教について意見を聞いた人は
・家族(母、夫、こどもたち)
・友人(仏教好きの人もそうでない人も)
・お寺の方(保守派、改革派などさまざま)
・仏教学院の先生方
・ビジネスサポートの方
・外国人(タイやベトナムの仏教徒)etc.

このほか、メディアや本で見聞きするものも含めると無数の意見があります。

一般の人からは「お寺っていいよね」「法話で心が救われた」という意見もあれば、「報恩講って、つまりは集金でしょ」という厳しいコメントまで……。

お寺さんにしても「まずは今のご門徒さんを第一優先に、現状維持を」という方がいれば、「既存の門徒さんは少ない。グリーフケアを中心に活動し、新規の法要依頼と布施で回っている」という方もいる。また松本さんのように、仏事の意味自体を再考している方もおられます。

要するに、人によって環境によって事情によって、意見が違う。

お寺はなくても困らない。そもそも仏教に興味がない。残念ながらそんな人もたくさん(大半!?)います。

うーん、どうすればいいのか。

とりあえず、こんなチャートを作ってみました。

※私の所属する浄土真宗寄りの内容ですが、ご了承ください。

これは完全なる私見で、もちろん異論も多々あるかと思います。あくまで自分の頭の整理のために作ったものですが、もしこれを見て何かご意見があればぜひ伺いたいと思っています。

あらためて整理してみると、右上の部分はわりと充実している気がします。若手僧侶の方々を中心に、なんとか人々に仏教を届けようと活動されているのだろうと思います。(私の主催する法話会もここに含まれます)
一方で、左上や左下は文字を見ただけで心もとなくなってしまいます。10年後、果たして存在するのか……
そうなると、あとは右下部分に希望が残るのですが、ここもやはり簡単なことではないと思います。

上記のチャートで言うと、下半分(一階)がお寺の経済、上半分(二階)がお寺の信仰のようになっている現状があります。なので、右下に新たな動きが生まれるとよいのだろうとは思います。

これは今朝思いついたことですが、たとえば葬儀について

【現状の葬儀の在り方】
「残された者が亡き人のために行う法要。または、残されたものが自分たちの心のケアのために行う法要」

という意味があると思います。これを、

【新しい葬儀の在り方】
「これから去りゆく者が、残される者のために贈り物をする法要」

というのはどうかなと思いました。

海外では、誕生日は人から祝ってもらうのではなく、誕生日を迎える本人が周りの人に幸せになってもらうためサービスをする習慣があるそうです。
葬儀においても、去りゆく人が事前に僧侶と話し合って、未来世代に伝えたいメッセージや残したいものを残す活動をすることはできないでしょうか。

流行りの「終活」をする中でも、「死んでまで子や孫に負担を負わせたくない」という声があると思います。負担を負わせないことに加えて、何か希望を残すことを、元気なうちから考えられたらよいかもしれません。

もちろん、突然の死や早すぎる別れに対してはグリーフケアが必要ですし、葬儀や法事本来の弔いの意味は何より重要なものです。
ただ、死について早くから考えることと合わせて、自分がいなくなった後も続いていくであろう世界のことを考えることができれば、かえって豊かに生きられるように思います。

いったん、思うままに思考を広げて書いてみました。
さまざまな可能性を考えつつ、できることから一つずつ。

現実と向き合いながらもよりよい未来をあきらめない、そんなスタンスでこれから取り組んでいきたいと思います。

お寺、仏教のこれからを考えている方々、またご意見いただけると幸いです。


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