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歴史番組感想【3ヶ月でマスターする世界史第5回「多極の共存 遊牧国家と中華王朝」】

 3・4回目は見逃しました・・・。
第5回目は、遊牧民と中華王朝との関係についてです。
中華王朝がどう遊牧民(異民族)と関わってきたのかを見ていきます。


・匈奴vs漢


 漢は匈奴という遊牧民と戦いますが、力の差は歴然としており歯が立ちませんでした。
匈奴は馬がよく騎兵が強かったそう。
そこで、武帝は交易に活路を見いだしました。これがシルクロードの始まりだそう。
そして、優秀な馬を大量に手に入れて、匈奴を倒しました。
西域と呼ばれる地域を支配することになりました。
それで、西に向けて細長い領土になったのか。


・突厥vs唐


 地球が寒冷化し遊牧民が度々中華王朝に侵攻してくるようになります。
ゲルマン民族の大移動も起こりましたね。
やがて、北魏や唐といった国家を打ち立てる遊牧民もあらわれます。
唐は突厥という遊牧民とやり合っていました。
突厥は強くてはじめ唐は歯が立たなかったそう。
しかし、突厥は内部分裂などで弱体化、唐に滅ぼされました。
唐の李世民は農耕と牧畜の両方に君臨する王となりました。

 そして、唐の政権のブレーンにはソグド人という民族がついていました。
ソグド人は、財力をもって経済を支配して、さらに軍人としても優れていた。
文武両道の民族ってことですが、すご。
唐の政権で結構な力を持っていたそうです。
そのソグド人と突厥の血を受け継いだ安禄山が起こしたのが安史の乱。
安禄山・・・聞いたことありますね。ソグド人の血を引いていたんだ。
結局、安史の乱は鎮圧されて終わったそうです。


・契丹vs北宋


 北宋は豊かな経済力を誇っていましたが、軍事的には弱かったようです。
契丹の度重なる侵入に悩んだ宋は、盟約(和平条約)を結びました。
今までの中華王朝は遊牧民と争いだけでしたが、平和的で画期的なものだったそうです。
北宋が契丹に貢ぎ物を与える代わりに侵入はしない、という盟約です。
経済力による共存関係です。
北宋は遊牧民と共存する、という道を選んだんですね。
これにより、100年を超える両者の共存関係が築かれたそうです。
今までとは違って、両方とも豊かになっていった時代でした。

 遊牧民とやり合うだけではなく共存を選んだ中華王朝もあった、ということですね。
北宋が経済的に豊かだったからこそ、なしえた共存関係ですね。
安全保障や経済保証に繋がっていった、と。
遊牧民と共存関係になったのは北宋が始めてじゃないかな。
画期的な政策でした。


・まとめ


 中華王朝と遊牧民の関係を見ていきました。
やり合ったり、遊牧民が国をうち立てたり、共存したり、といろんな状況があったことがわかりました。
中華王朝の歴史は遊牧民を抜きにしては語れないですね。
あと、仏教の広がりも遊牧民が関わっていたそうです。
遊牧民は宗教すら広げてしまうんですね、すご。

 

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諸葛鳳雛@真の歴史探偵
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