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「柿の葉寿司」の魅力を伝えるために、noteを始めます。
はじめまして。
「ゐざさ」中谷本舗の中谷です。
中谷という名字からもわかるように、現社長の長男です。
私の自己紹介はまたの機会にさせていただくとして、
私たちの会社が、なぜnoteを始めたのか、その思いをご紹介できればと思います。
私たちの会社について
「ゐざさ」中谷本舗は、奈良名産「柿の葉寿司」などを作っている食品メーカーです。
自社の店舗やオンラインショップだけではなく、東海道新幹線の主要駅の売店やスーパーなど、幅広く販売をさせていただいています。
創業は大正10年(1921年)。来年には、創業100周年を迎えます。
誕生したのは、奈良県吉野郡上北山村。
奈良市内から車で2時間30分。桜の名所で有名な吉野山からでも、つづら折りの山道を車で1時間ほどかかる、四方を山に囲まれた人口約500人の小さな村です。
この地で、店を始めたのは初代・中谷勘市郎。私の曽祖父です。
創業当時は「中谷商店」の名前で営業する米屋でした。米を売りながら、柿の葉寿司も販売していました。
今でこそ過疎化が進み、子どもの数もわずかな村ですが、創業当時は林業で沸き、村内には映画館やカフェなどもあったといいます。
米だけでなく酒なども扱うようになり、「中谷商店」は、まさに「村のデパート」。
林業に従事する人たちが、こぞって食料を買い求めていたそうです。
過疎化を憂う気持ちから生まれた名物
ですが高度経済成長期になると、林業の衰退に伴って人口も激減。過疎化が進み始めました。
この状況に危機感を持ったのが、先代であり私の祖父である宏でした。
「村の名物をつくらないと、この村は消える」
宏が、妻・カツエと一緒に考え出したのが、今の屋号の由来にもなった「ゐざさ寿司」です。
村に自生する笹の葉(※)を使い、鮭のお寿司を三角形に包んだ商品。
ちょっと変わった「ゐざさ」という名前は、上北山村に残る伝説の大イノシシ「猪笹王(いざさおう)」から名づけられました。
名付け親は、東大寺で要職を務めた清水公照師です。
(※現在の笹の葉は、品質保持のため、適切に管理された笹のみを仕入れています)
この商品が大ヒット。
奈良県内はもとより、大阪などでも柿の葉寿司とともにホテルや駅、スーパーなどで販売させていただけるようになりました。
ここに、今の「ゐざさ」中谷本舗の「いしずえ」があります。
私たちが伝えたい思い。
さて、前置きが長くなりましたが、私たちがnoteを始めようと思った理由についてです。
私たちが扱っている商品は、奈良に根付いたものです。
柿の葉寿司は、今でこそ全国的に知名度が上がっていますが、元々は奈良・吉野地方の郷土食。山村の家々で作られていた家庭料理でした。
私たちは、奈良の歴史と文化が詰まった食品を扱っています。
だから、私たちの会社の根底には「ふるさとへの愛」があります。
「奥吉野の食文化を古都奈良から全国へ」
これが、「ゐざさ」の理念です。
私たちが誇る「ふるさとの味」を全国の皆さまに召し上がっていただける。
それこそが、上北山村への恩返しとなりますし、先代の祖父の願いをかなえることにもつながると思っています。
それとともに、寿司文化を伝えることも私たちの役割だと考えています。
「寿司」は誰もが知る世界共通の料理となりました。
ですが多くの方が「寿司」と聞いて思い浮かべるのは、「握り寿司」ではないでしょうか。
もちろん握り寿司も日本の食文化ですが、この国の各地にはその土地に根付いた「郷土寿司」があります。
柿の葉寿司は、貴重な魚を美味しく長持ちさせながら食べたいと先人たちが考え出した逸品。
ゐざさ寿司も、ふるさとを思う気持ちから生まれた郷土寿司です。
多様な「寿司文化」を、私たちの郷土の食を、少しでも多くの方に伝えられたら、これほど嬉しいことはありません。
えらそうなことを書いてきましたが、
要は、柿の葉寿司、ゐざさ寿司、郷土のお寿司のことを知ってほしい!ということです。
私たちも肩ひじ張らずに文章を書いていこうと思っておりますので、
気軽に読んでいただければ嬉しいです。
ではこれから、よろしくお願いいたします!