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嵯峨野の月#100 灌頂

第4章 秘密17

灌頂

弘仁三年六月、泰範は二十五年ぶりに近江高島の実家に戻った。

その家は草木が生え随分と汚れていたが骨組みがしっかりしているので手入れをすれば庵として使うのに不便は無い。

背負っていた籠を煤けた床に置いて旅装を解くと泰範は早速たすき掛けで外に出て鎌で庭の草木を苅り始めた。

「和多利は室内を片付けてくれ」
「へい」
と気安く応えた老人、秦和多利はたのわたりはまずはくりやだな、と竈の中の灰やら鼠の巣やらを取り除いて土を練って竈のひびを塞いで火をくべて竈を乾燥させ、持ってきた新しい釜を上部に据えた。

さすが元木工職人、和多利はこういう仕事が得意なのだな。
と草刈りに疲れて戻った泰範は感心しながら老人の働きぶりを見ていた。

味噌と菜を入れて米を多めに炊いた雑炊を啜るとたちまち疲れが吹き飛んだ。

「…うまい。白粥ばかりの坊さんの食事には辟易していた所だ、ちょうど良い」

はふはふ言わせて泰範は雑炊を平らげ水を飲むと器を置いて、

「さて、今から遅ればせながら庵のおこもり僧になるぞ」

と笑った泰範の顔は、実に晴れ晴れとしていた。

井戸の水で器を濯ぎながら和多利はだけどもねえ、と振り返り「最澄和尚が天台宗をやるって言いなさるなら喜んで貰えばよろしかったのに。勿体ない」
とわざと下唇を付き出して見せる。

老人のふざけ顔が本当に山猿に似ているのでよせよ、と泰範は妙におかしくなって笑い出してしまう。

「国家公認の宗派一つだぞ、この道心の浅い若僧には荷が重すぎて潰れてしまうよ」

そう言ってから周りだけ片付けた部屋の床に薬師如来の小さな像を置いて数珠をかけて合掌瞑目して経を読む。

たとえ泰範さまが密偵だったとしても、十八年も比叡のお山に入って師に仕えていれば本当の坊さんじゃないか。

真剣に読経する泰範の後ろ姿を見て和多利は、最澄和尚の評判だの実像だのは庶民の俺には関係ねえが、
最澄和尚は愛弟子に対して本当に罪なことをなさった。
と最澄に本気で腹を立てていたのである。

そもそも泰範が自ら山を降りるきっかけを作ったのは今年から病がちになり、我が身もこれまで。と思った最澄が講堂に弟子を集め、

「我が死した後、後継者を泰範とする」

という正式な遺言書を作成して読み上げた上での宣言。

堂内は一斉にしん…とした後剣呑な声でどよめき、特に若い弟子たちが唖然とした顔で信じられない…と最澄への失望を隠さずに一人がこう叫んだ。

「よりによって一番弟子の円澄さまや唐留学に同道なさった義真さまではなく、この…」

と青ざめた顔で泰範を指差し、

「この色坊主への情けひとつに最澄さまは血迷って泰範に天台宗を渡そうとなさるのですか!?」

この若い弟子は言ってはならぬ事を言ってしまった。

皆、口には出さずとも最澄と泰範の関係は知っていたのだ。

知っていながら泰範の「働き」で最澄さまは精神の安定を保っていなさるのだから。表面上比叡山寺は滞りなく運営出来ているのだから、と皆黙っていたのだ。

口角泡を飛ばして「この色坊主っ、お前が比叡山をおかしくしたんだ!」と泰範をなじる弟子の胸ぐらを掴んで「…黙れ」と殴り付けたのは、義真だった。

「我が身を挺して刺客から最澄さまを守った泰範はまことの弟子だ。若僧め、黙れ」

なれど…と反駁する弟子に向けて義真はもう一度拳を振り上げようとする。

「静寂なる寺内で争い事をするな!」
と円澄がその手を背後から掴んで止めた。

「円澄さまは悔しくないんですか?」

と問い詰められた円澄は表情ひとつ変えずに「師の決定に従うべきである」と言った。それと宗派の継承は別問題であると騒ぎ立てる若い弟子と古参の弟子で紛糾する堂内。

弟子で情人でもある泰範との関係を皆に知られていたのか…!
と全身から血の気を失って立ち竦む最澄。

泰範にはいま目の前で起こっている出来事が皆、自分に関係の無い芝居のように見えた。

色坊主、ああその通りだ。
泰範はふっ…と己と堂内にいる者全てを嘲笑すると自室に戻って荷物をまとめ、

「此度は私の身の不徳でお山に騒ぎを起こした事をお詫びします」
と師に頭を下げてそのまま比叡山を降りて行った。

行かないでくれ!という最澄の叫びに耳を塞ぎ、決して後ろを振り向かなかった。

まずは都の九条で子を育てている妹に会いに行き、生まれて間もない我が甥を抱かせてもらった。

なんと美しい赤子なのだろう。私のような汚れた者がこのような清らかな存在を抱けるなんて…と目に涙を浮かべてから「近江に戻って庵を結ぶ」と妹に告げ、取り敢えずの従者として和多利を借りる事にした。

日と月の光を頼りに写経し、読経するだけの日々は元興寺で出家して以来か。
若い頃は暇を苦痛と思うていたが、

「年を取ってからの暇というのはやりたいことだけすればいい幸い、というものなのだな」

と笑って和多利に向かって言った。こうして夏が過ぎ、秋になった。
泰範の心になんの波も立たない穏やかで、幸せな日々だった。

空海阿闍梨よ。
私は貴方からの是非お山を降りて会いに来て欲しい。というお願いを幾度も無視し続けてきたのは、

死ぬほど努力しても報われない我が身と比べて密教の正統後継者という輝かしい地位。

若く覇気溢れる今上帝の寵愛。

そして…東大寺別当に任じられ、奈良仏教に認められた貴方に、私は死ぬほど嫉妬していたからだ。

私は貴方より何倍も経典を読み込んできた。

年と共に衰えて来る体に無理してでも写経を続けてきた。貴方の何倍も何倍も。

なのに、どうして私は報われないのだ?

我が悲願である戒壇の許可をどうして帝は下さらないのか?

ああ、遍照金剛へんじょうこんごう…老いた我が身には眩しすぎるその法名を耳にするだけでも私は死にたくなるのに。

すぐに新しき教えに飛びつきたがる軽佻浮薄な今どきの衆生に支持されている若き僧よ。

殺してしまいたくなるくらい嫉妬する相手をこの世に居ないものと思うまでに無視することが、

不遇なものの心に安らぎを得るための知恵だということを貴方は解ってくれないのか?

なのに、なのに、このような切実な文を送られてしまっては読まずにはいられないではないか…

空海から送られてきた文を何度も何度も読み返し、筆の走り、墨の浮き濃きから書き手の熱情が迸る文体にため息をつき、広げた文の前で最澄は、

「私は何と傲慢だったのだろうか…」

と床に伏して激しく泣いた。その様子は側にいた円澄と義真が我が師は後継者と目していた泰範に去られ、絶望のあまり自死してしまうんじゃないか?と心配する程のものだった。

被っていた帽子もうすで涙を拭い、落ち着きを取り戻した最澄は愛弟子たちも何年かぶりに見たというくらいすっきりした顔つきをしていた。

やがて師の口から発せられたのは、

「決めたぞ、私は空海阿闍梨に会いに行く。自ら頭を下げて密教の弟子になるつもりだからお前らもそのつもりで」

という宗派の開祖が別の宗派の弟子になる。という前代未聞の発言だった。

最澄さまは天台宗と弟子たちの為に何でもなさるおつもりだ…

二人の愛弟子は唖然としたが師の悲壮な決意に誰が逆らえようか。

「それと、疾く使いをやって泰範を呼び戻すのだ!」
最澄はこれだけは厳命した。

弘仁三年十月二十七日、

当時乙訓寺別当としてこの寺に住持していた空海は朝の勤行を終えて白湯を飲んで一息ついたところだった。

最澄に送った文の事はもう考えないようにしている。

文章というのは書き手が自分の思いを文字に乗せ、それが人に読まれた瞬間から自分の手を離れるものなのだ。

読んでくれた最澄さまがどうなさるかは最澄さまの勝手。
後はどうとでもなるがよい、とさえ思っていた。

読み手に最初から期待しないこと。

それが若い頃から思いの丈を文章にぶつけて生きてきた空海が心を平静に保つための、いわば知恵であった。

だから、この日最澄が一人でふらりと訪ねて来て空海に対面するなり帽子を取って膝を折り、
「空海阿闍梨に切に切に密教の教えを請いたい」
と額を床に擦り付けて懇願してくるだなんて、

空海には思いもよらぬことだった。

「よろしいでしょう」

こうして二日後の弘仁三年十月二十九日に空海は乙訓寺から高雄山寺へ移り、帰国してから本格的な灌頂の儀式を行うのは初めてだったので半月かけて準備し、

弘仁三年十一月十五日、高雄山寺にて金剛界結縁灌頂を開壇し、最澄ら金剛界灌頂を受ける。が、この日泰範は来なかった。

庵に比叡山から迎えの僧が来て、
「あなた様に出ていかれてから最澄さまは憔悴しきっております。是非戻っていらして下さい…」
と泣きながら説得されたので渋々比叡山寺には戻っていた。

が、その本音は…

全ての衆生を救うと天台一乗の教えを掲げてきた最澄さまご自身がわざわざ密教の弟子になりに行くだなんて、
それでは密教に敗北した事を認めるようなものではないのか?
と年を取ってなりふり構わぬ行動に走った師を軽蔑すらした。

本当は孤独で可哀想な人だから、と情ひとつで繋がっていた師弟の絆が泰範の最澄への思いが今は歳月を経ては擦りきれてしまい、まるで左右の襤褸を繋ぐ細い最後の一本の糸みたいな情しか残っていなかった。

最澄は泰範に灌頂を受けようではないかと再三勧誘したが、泰範は断っていた。

そんな泰範のもとに届いた急ぎの文は、珍しく心が動く内容のものだった。

我とご同道なさっていた和気真綱《わけのまつな》氏がその場で金剛界灌頂の意向を空海阿闍梨に伝え、入檀なされたのだ。

これは予定には無かった急なことなのでさらに逗留が長引くことになる。
至急、高雄山寺に米を送って欲しい。

我が愛弟子泰範へ

最澄

最澄、円澄、義真が灌頂を受けた直後にそれは起こった。

兄の広世亡き後、内心天台宗と縁を切りたいと思って支援を断つ。とまで宣言していた和気真綱は一族に反対されて絶縁を諦め、表面上は天台宗の檀乙として最低限の支援を続けていた。

最澄の灌頂に立ち会うのも嫌々だった。

だから、今ここで空海の密教に乗り換えなくてどうする!?

と思い立ち、最澄たちが灌頂を終えたその場で「我も儀式を受けるぞ」と空海に告げて灌頂を受けたせいで当初の予定が大幅に狂い、
その後の空海、最澄、そして泰範三人の僧の運命を決定付ける事になる。

密教なんて怪しい教えだ、と呪術を毛嫌いなさっていた真綱さまを心酔させた空海阿闍梨とはどういうお方なのか?

文を読み終えた泰範はこの時初めて、空海に会ってみたいと思った。その為には…

「私も高雄山寺にお供し、灌頂を受けてみたいと思います」と愛弟子に告げられた最澄は、

「そうか…いや、お前なら解ってくれると思っていた」と泰範の両手を取って涙ぐんだ。

その先に何があるかも予想せずに。

弘仁三年十二月十四日、

泰範は最澄と兄弟子たちと共に胎蔵界灌頂を受けに高雄山寺に入った。

一歩堂内に入った瞬間、闇の中で無数の金色の星がまたたく世界に入ったような錯覚を泰範は覚えた。

よく目を凝らして見ると灌頂を受ける希望者たちの前に立つ柿色の衣を纏った小柄な僧侶のからだから小さな光の粒が立ち上っているではないか。

あの人が…空海阿闍梨。私以外には見えないのだろうか?
「人は生まれながらにして皆仏であり、己の心の中の仏性に従って現世で働き、衆生を救う事が出来るのです」と在家の者の心を惹き付ける説法をなさるではないか。

さらに目を凝らして見ると空海の背後にしつらえてある檀の両側の壁に掛けられている仏が縦横に並んだ曼陀羅と、蓮の紋様をした曼陀羅の中の小さな仏たちが自ら光を発して、

(いきなり大勢の前で説法をするから緊張をしているのね)

(息を整えて落ち着いて話すのよ)

(もっと自信を持て!遍照金剛よ)

と語りかけて空海を励ましているではないか!

私が見ているのは一体何なのだ?

空海阿闍梨は本当に人間なのか、いや、この御方こそが仏に選ばれた器なのではないのか?

空海の説教が終わると案内役の若い智泉阿闍梨に促されるまま泰範は師と兄弟子の後に続いて空海が両手に持つ棒の先の水を頭頂に付けられた瞬間、

現世の汚泥の中で育ち、元より神も仏も信じていなかった泰範の暗い心に光が点った。

それは実際のどんな愛撫よりも優れた心地のよい温かい慈しみであり、その恩恵を受けた泰範の心は懐かしさと喜びで満ち溢れた。

「泰範…なんで泣いているのだ?」

師と兄弟子に怪訝な顔をされた泰範は両目から滂沱《ぼうだ》の涙を流し、空海の足元に額付《ぬかづ》きながら、

「空海さま、今より私をあなたの弟子にしていただきたいのです!」

と口から臓腑が出ん程の叫びでそう訴えた。

師匠と弟子であり情人でもあった最澄と泰範の縁の糸はこの時…

音も立てずに切れた。


後記
人と人の関係が切れる時は突然やってくる。







































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