嵯峨野の月#65 或る王子の一生
第3章 薬子1
或る王子の一生
昔、二つの日輪が出会い、この小さな島国を照らし続けた奇跡のような時代があった。
第52代嵯峨天皇と空海阿闍梨の出会いの場である大極殿はちょうど平安京の中心に位置し、それこそがまさに…
象徴的なことであるよ。
と空海を謁見の場に呼ぶために奈良仏教界や僧網所に根回ししてきた藤原三守は
これまでの苦労が報われた、と頬を紅潮させ、伏せていた目をわずかに上げた。
昼前の強い光を浴びて微笑んでいる空海と、御殿の屋根の下の濃い影の中に御座します嵯峨帝の何かを思い詰めているような顔つきが…
実に対照的であるよ。
帝と空海のとるべき態度がまるで逆、これでは無礼にあたるのではないか?
と最澄は帽子の下で汗を滲ませるのであった。
「さて空海よ」
と先に言葉を発したのは嵯峨帝からであり、
「お前は10年以上私度僧として各地をさすらい、遣唐使として海を渡り、青龍寺恵果より密教の真髄を授かって帰国した。
…見事なり。誰一人としてお前のような真似は出来ない」
と天皇として最大級の賛辞で空海の留学成果を労った嵯峨帝は、
「そこで敢えて問う、空海。おまえの目から見たこの国、どう思うぞ?」とお尋ねになられた。
この国をどう思うか。やて?
と頭上から降りかかる嵯峨帝の言葉に空海そこですうっと表情を消し、
「この国の正体は、名前の『日のもと』とは逆の、山のてっぺんにしか光の当たらない闇だらけの場所や。とわしは思うんですけどねえ」
帝の賛辞に対してあまりにも無礼な空海の答えに、三守も最澄も驚愕して立ち竦んでしまった。
「く、空海阿闍梨!その発言はあまりにも…」と最澄が意見するのを、
「控えよ最澄!今は帝と空海阿闍梨の対話ぞ」と鋭い口調で三守が制した。
「…失礼致しました」と謝して畏まる最澄は、
この若者、穏和そうな顔してなかなかやるではないか。
と天皇の面前で国家鎮護の僧である自分を叱りつけた三守の胆力にいたく感じ入った。
「何故そう思う?」と嵯峨帝は気を害することもなく空海に話を促す。
へえ、と空海は恭しく頭を垂れながら、
「あれはわしが18で、まだ大学寮の学生だった頃です。疫病と水害で都が滅ぶのをこの眼で見ました…
わんずかさ(天然痘)で苦しむ人々をお役人たちは生死かかわらず川に棄て、骸を犬に食わせました。
わしと親しかった木工職人(大工)も川に棄てられました…病人たちは早良親王さまの祟りは恐ろしいな、と病も役人も怨めず、
諦めの気持ちのまま死に逝きました。
それに、お上の杜撰な乱開発による河川の氾濫と洪水で家ごと人びとは流され、長岡京はこの世の地獄となりました。わしら学生は博士の命令で貴重な書を櫃に詰めることしかできんかった…
人々の命より書が大事なんかい。
と官吏になる夢なぞとうに消え、
所詮、政では人は救えない。一番弱い者を掬い上げる事の出来ない…
こんな国なぞ、もうとうに死んでいる。
とまで思い詰め、出奔して山中をさすらっているところを戒明和尚に拾っていただき私度僧の道に。
…おわかりいただけましたでしょうか?
これが、虚無の闇に堕ちて俗世を棄てた佐伯真魚の物語です」
と顔を上げた空海は眦を見開き、この国の頂に立つ若者に挑む目つきで嵯峨帝を見つめた。
せっかく咎を許され、帝の前でなんてことを…と恵果さまはあの世で呆れてらっしゃるやろうな。
しかし、自分の積年の怒りだけではない。
あの時、病で棄てられ、長岡京の濁流に呑まれた人びとが。
東大寺の御偉方の嫉妬と策略で唐国から持ち帰った成果を潰され、山の隠者となられた戒明さまの、寂しそうに月を見上げるお姿が。
わしにそう言わさずにはおれんのや。
敢えて問う。
そこな若き帝よ、あなたは政で国を救えますか?と。
そうか、そうだったのか。
今は遍照金剛と呼ばれるこの男の原点は、この世の地獄と絶望と、日の本への諦めだったのか…
嵯峨帝が他人ににここまで政への怒りをぶつけられたのは生まれて初めての事であり、最初は戸惑った。
なれどその時沸き上がった感情は無礼者に対する怒りではなく、一切の忖度なしに本音をぶつけてくれる空海の眼を見て、
この男ならば信じられる。
という肚の底から起こった熱い感動であった。
「朕もあの時の洪水をよく覚えている…
6才の頃であったか、弟の大伴と一緒に父に抱かれ、王城の屋根を壊すのではないか?と思うほど激しく打ち付ける雨に怯えていた。
ならば朕はこの国を殺した大罪人の息子だ。
亡き父桓武帝に代わって長岡の人びとに詫びる。済まない…」
と御椅子の上で腰を折るようにして心から空海に詫びた。
なんというお方や。
古より太陽神の子孫として敬われ、人と同じ目線になる事さえ許されない天皇というお立場の方が、
わしみたいな私度僧あがりに謝罪してくれてはるなんて。
…豪華な宮殿と王子という身分、美しい妃と可愛い子に恵まれながらも、王子の心は虚無に満ちていた。
一日一日を生きていくのさえも、苦しいと思っていた。
とふと自分を仏への道に導いてくれた戒明和尚が語る釈迦王子の一生の物語が空海の脳裏に甦った。
ああ、この御方は出家を許されない釈迦王子で、政の闇に苦しんでいらっしゃるから、
わしが呼ばれたんや。
と空海が悟った時右手に握っていた翡翠の数珠が熱を帯び、
(その通りだ。目の前の天命を背負った王を助けるのがお前の役目である。…まったくどうなる事かと焦ったぞ)
という順宗皇帝の苦笑が頭の後ろで響いてすぐに消えた。
「先程の不遜なふるまいお詫び致しますから…どうかお顔をお上げになって下さい、帝」
と言われて初めて嵯峨帝は顔を上げ、空海に向かってそれまで表向きの場では誰にも見せたことのない気弱な笑みを見せた。
「若輩ながら朕はお前の思いを、全て受け止める。空海よ…朕を助けてくれるか?」
「はい、この空海身命を賭として帝にお仕え致します」
と空海が深々と頭を提げて嵯峨帝の頼みを聞き入れた時、三守と最澄はどうなることか。と心配したが、これで役目を果たせた…と心から安堵した。
戒明さま、わしの釈迦王子をとうとう見つけましたぞ!
頭を垂れながら空海は満面の笑みを浮かべていた。
おい神野よ、これから面白い時代になりそうではないか!
と自分に語りかけ、沸き立つ心を抑えられず嵯峨帝は身を乗り出した。
「では、これからの話をしようではないか」
藤原薬子は池のほとりに咲く清々しい程に青い花を眺めては、
ああ、式家の実家であるこの邸を手放さずにいて本当に良かった。と思い、今は亡き父の種継に、
薬子、お前は誇り高き藤原式家の娘でゆくゆくは後宮に入り、皇子を産んで国母となるか、娘を後宮に送り皇子を産ませて皇后の母となるのが当然の生き方ぞ。
と幼き頃より言い聞かされて育った。
物心ついた時から薬子は姫様と呼ばれて使用人にかしずかれ、当時は学問も芸事も一流の師匠たちがこの邸を訪れては
将来、天皇にお仕えするのに相応しい女人になるように。
と厳しく教育されてきたものだが、薬子は弱音ひとつ吐かなかった。
なぜなら、薬子は藤原氏出身で皇族以外で初めて聖武帝皇后となり、国母としてこの日の本に君臨なさった…
光明皇后さまのように私はなるのだ。
という強い憧憬から生まれた野心を、厳しい勉学の日々を支える原動力にしたからである。
成長したら当然父のあるじである桓武帝の後宮に入るもの、薬子は思っていたのだが急に出世して天皇の側近になった種継に心代わりが起こったのか、
それとも、すでに多くの妃を抱えていらっしゃる桓武帝の後宮に娘を入れるのも今更と思ったのか、薬子が年頃になると、
「藤原一族の中から優秀で誠実な男を選んで薬子に婿を取らせ、式家を継がせる」
と言い出し、父種継の厳しい審査による薬子の婿探しが始まった。
大層美しい、と噂される藤原式家の深窓の姫君と結ばれる上に、式家の頭領となれば出世は間違いない!
と色めき立った貴族の子弟たちは薬子あてに次々求婚の文を送った。
まずは朝臣としての素養である文章力の無い男は門前払い。
文章力で合格した若者は邸の前庭に呼ばれ、
「かくかくかのような事態が起こった。そなたなら如何様に対処するか?」
と政道に関する難題を吹っかけられ、答えられなかったらその場で追い返される実に厳しい審査の日々が三月は続いた。
その中で一人だけ父のお目にかない、邸での酒宴に呼ばれたのは亡き参議、藤原蔵下麻呂さまのご長男で、23の若さで従五位下中衛少将にご出世なさった藤原縄主どの。
薬子より8才年上の、ことし26才になった縄主は同じ式家の生まれで、薬子にとっては従兄弟伯父にあたる若者だ。
「将来お前を必ず幸せにできるよい男だぞ」と父に聞かされ胸ときめかせて宴の場をこっそり覗いて見ると、
父から杯を受け取って大仰に畏まっているのは牡牛のようないかつい体格をした、髭面の大男。
そんな、このようなむさくるしい殿方が私の婿になるなんて…
と薬子の心の花はしおれてしまい、その日から10日ちかく、薬子はふさぎ込んで部屋にこもりきりになった。
「縄主ほどのいい男はいないとこの父が保証する。いつまでも拗ねていると婚儀が出来ないじゃないか」
と困り果てた種継が説得にかかると、
「殿方が見るいい男と、女人から見るいい男は全然違うのですよ!父上。
わざわざ婿を取るだなんて、この家には仲成お兄さまもいらっしゃるじゃないの!」
仲成、と聞いただけで種継は顔を強張らせ、
「あんな奴は人間の屑だ。藤原の悪い血が間違って我が長男に流れ着いてしまったのがこの種継一生の不覚…仲成に家を継がせるのは式家の恥である」
と思いつく限りの悪態をついて我が息子を罵る父を横目で見る薬子は、
お兄さまがあんなねじれた人格になってしまったのは、気に入らなければすぐ激しく打擲する父上の教育のせいではございませんこと?
と口には出せずうつむいて黙る事しか女の身である自分には出来なかった。
思えばこの時、自分は人格が歪みよじれた男の真の恐ろしさを知らずに守られていた世間知らずの小娘だったのだ。
と薬子はここ平城京に残したかつての実家の縁側に座り、池を渡って来る風に頬を当て、
奈良の風は心地よいこと…とけぶるような眉を見開いた。
そう、あれは婚儀の日の前日。
いつもは外で遊び歩いて家には寄り付かなかった兄、仲成が酒臭い息をさせながら部屋に入って来て…
「すっかり美しくなったな、薬子」
と言うなり薬子を突き飛ばし、仰向けに倒れた薬子にのしかかって来たのだ。
まさか?実の兄が妹に?そんな、そんな…!
兄の膝が薬子の脚を割った時、薬子ははっきりとこのままでは犯される!という身の危険に直面し、
「いや!いやあああっ!!」
とあらんかぎりの大声で叫んだ。
「黙れ」と兄が拳を固め、鳩尾に一撃を喰らって薬子は悶絶した。
「俺から式家をさらう小賢しき妹なんか滅茶苦茶に壊して婿どのに下げ渡してやるよ!」
成る程ね、これが人間の屑というものか、自分が何も成せない小者だからって弱いものに暴力をふるい、滅茶苦茶にする事にしか愉悦を覚えられない愚かな男。
殴られた痛みで気を失いそうになりながらも脚を固く閉じ、残った力で薬子は抵抗した。
「しぶとい女だな」と再び兄が拳を固めた時、突き付けられた太刀が仲成の首筋にひやりと当たった。
「それ以上我が許嫁に触ると、即刻頸を切り裂いてやるぞ」
と仲成の背後から太刀を抜き、刃を喉笛に押し当てているのは薬子の許嫁、縄主。
「よりによって実の妹に手をかけようとするとは、犬畜生め!
おい藤原の恥、疾くここを出ていけ。そして二度と帰って来るな」
わずかな力加減で刃が喉に押し当てられ、皮膚が切れた時、仲成は奥歯を鳴らして震えた。
縄主は本気で俺を殺す気だ!と恐れをなした兄が虫のように這って部屋から出ていった。
先程の恐怖と鳩尾の痛みで薬子の頭は混乱している…
「大丈夫ですか!?薬子どの。大変危ないところだった」
と自分の手を引いて起こし、介抱してくれる縄主の髭面がこの時は大変頼もしく見えて…
私は思わず縄主どのの胸に泣いてすがり付いて、縄主どの…!と繰り返し名を呼んで泣き続けたのだった。
「この縄主、一生姫様をお守りしますから…傍にいてもよろしいですか?」と、
許嫁のくせに
藤原式家の身分高いお生まれのくせに
従者みたいなへりくだった口調で求婚する縄主の誠実さに心打たれて、
「はい」と私は彼の広い胸板に顔を押し付けて答えたのだった。
こうして藤原薬子は藤原縄主と結婚した。
それは薬子18才、縄主26才の23年前にこの邸で執り行われたことである。
後記
空海と嵯峨帝の出会い。如何に藤原薬子の人格は形成されたのか。