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【いよなん12/1新刊サンプル】米川青馬『仁義なき物語と自己家畜化の〈夜〉』

みなさま、はじめまして。
あるいは、おひさしぶりです。

いよなん、でございます!

今週末はデザフェスコミティアが開催されていたみたいですね~
レポを見ているだけで、楽しそうです✨

さて、というわけで文フリも近づいてまいりました。
当アカウントでは、『いよなん』第2号に掲載される作品のサンプルをあげております。
下のマガジンにまとめておりますので、「読んだことないな~」という方はぜひ、ここから読んでみてくださいね!

今回、紹介するのは、米川青馬さんエッセイ『仁義なき物語と自己家畜化の〈夜〉』です。

いよなんサンプル #6

作者:米川青馬
タイトル:仁義なき物語と自己家畜化の〈夜〉

内容

『イーリアス』や『ペルシア人』や『ドン・キホーテ』やカフカ『城』や、現代のさまざまな物語を通じて、ヒトの愚かさと戦争について考える。古代ギリシア以来、全体的に見れば、ヒトとセカイは、良くも悪くもなっていないのではないか。
それが僕の感触だ。

本文サンプル

『イーリアス』は『キン肉マン』に似ている

 無論、順番は逆で、『キン肉マン』が『イーリアス』に似ている。『キン肉マン』だけでなく、『魁!男塾』や『北斗の拳』や『ドラゴンボール』も似ている。映画なら、『仁義なき戦い』シリーズ(特に『代理戦争』)や『スター・ウォーズ』シリーズも似ている。数々の戦争映画についてはいうまでもない。何が似ているかといえば、二つの軍に分かれて戦うことだ。
 現存する世界最古の物語、ホメーロスの『イーリアス』は、ごく簡単にいえば、ギリシア軍とトロイア軍が冒頭から結末まで、ひたすら戦いつづける物語だ。以来、二つの軍に分かれて戦う物語フォーマットは、上の物語たちを含めて、『鬼滅の刃』や『デューン 砂の惑星』シリーズに至るまで、連綿と人気を博してきた。現代では『ゲーム・オブ・スローンズ』のように複数の軍が複雑に入り乱れることもあるが、基本は『イーリアス』と変わらない。
 もちろん、その背景には、ヒトが二つの軍に分かれて戦争を繰り返している現実がある。文明がこれだけ発展したというのに、戦争が甚大な被害をもたらすことを知っているのに、僕たちヒトは一向に戦争を止める気配がない。戦争は必ず二つの勢力に分かれ、味方と敵を区別する。ウクライナとロシア。イスラエルとパレスチナ。現代ではそうした局地戦が世界全体に広まりかねない。2024年のいま、多くのヒトが世界大戦の可能性にうすうす勘づいている。エマニュエル・トッドにいたっては、『第三次世界大戦はもう始まっている』(文春新書)と断言している。本当にそうかもしれない。
 僕たちヒトは、歴史から学ぶことのない愚かな生きものである、と考えるほかにないだろう。その一方で、『イーリアス』フォーマットの戦いの物語は衰えることがなく、日本でも世界でも絶えずヒットを飛ばしつづけている。その根本には、僕たちが自分たちの愚かさを理解したいと願う気持ちがあるのではないか。

『イーリアス』は『スラムダンク』にも似ている

 断っておくが、僕は反戦派である。だから、多くのヒトが戦争を志向していないことを知っている。ただ一方で、ヒトが始終「相手の身体を傷つけない戦争」をしていることもよく知っている。たとえば、経済戦争や企業戦争はメタファーではなく、本物の戦争に近い。ライバル企業同士は経営的に戦っている。また企業内でも、派閥や個人同士の競争が絶えず行われている。もちろん、企業が競争ばかりしているわけでないことは承知しているが、しかし、競争が企業活動の本質であることは否めない。またスポーツは、ルールに則って行われる模擬的な戦争といってよいだろう。オリンピックやサッカーワールドカップは、まさしく国同士のバーチャルな戦争であり、ヒトが本物の戦争に向かう意欲を消尽する装置ではないか。
 つまり、『半沢直樹』や『ハゲタカ』は『イーリアス』に似ている。『スラムダンク』『キャプテン翼』をはじめ、大半の集団スポーツマンガも『イーリアス』に似ている。最近見た『極悪女王』に「プロレスは残酷だから面白いんだ」という印象的なセリフがあったが、困ったことに、この種の物語は残酷な面があるからこそ面白い。
 現代人にも戦闘意欲があり、経済戦争や企業戦争やスポーツを止められないのなら、その延長線上で本物の戦争が起こったとしても驚くことではない。フロイトは、アインシュタインから「人はなぜ戦争するのか?」と問われて、「人間の攻撃的な傾向を廃絶しようとしても、それが実現できる見込みはない」と返しているが、その通りだとしか思えない(ジークムント・フロイト『人はなぜ戦争をするのか』光文社古典新訳文庫)。おそらくヒトには、生きる上で戦闘意欲が必要なのである。
 西谷修は、戦争は〈夜〉だと言っている。「安定した見通しのきく〈昼〉の秩序が崩壊し、日常のパースペクティブやそこでの生存の原則が崩れて、生存の『見知らぬ』様相が露呈して日常の秩序を呑み込んでしまうのが〈戦争〉」だからだ(西谷修『夜の鼓動にふれる』ちくま学芸文庫)。戦争にアプローチするには、この種の〈夜〉の物語を楽しんで、戦争の構造やヒトの戦闘意欲をよく理解したほうがいいのだと思う。


それぞれの〈物語〉を把握した上で、じっくりと比較検討しながら読みたいですね……

というわけで、この続きは『いよなん』第2号に掲載されます!

『いよなん』第2号は、
西3・4ホール
ぬ-21
に場所をいただいています!

みなさんのご来場を、お待ちしております!


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