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INFJの私がESTPとして介護施設で働いていた話
1年にも満たない期間だったが、私は社会人として働いていたことがある。
人の役に立ちたいという、よくある承認欲求から介護士という仕事を選び、仕事のギャップと己の不器用さに絶望した。
結果として、私は適応障害になり、入社して数ヶ月で休職からの退職という絵に描いたような転落人生を歩むことになった。
事前に調べられたであろう仕事のギャップはさておき、己の不器用さに関しては、かなりの心当たりがあった。常に、別人を演じていたからだ。
元気よく挨拶ができる、誰にでも優しい、いつでも笑顔の新入社員。先輩にとって、育てやすい後輩を完璧に演じようとしていた。
いわば、常に過剰適応している状態だった。
厄介なのは、これが無意識だということだった。
同期と愚痴を話している間はいつもの私。
事務所に入り、勤怠管理表を書き込む私は別人。
「1人の新入社員」になった瞬間、私のスイッチはいつも無意識に切り替わった。
元気に笑顔で挨拶をして回るその姿は、私でありながら、私の知らない別人だった。
9時間もの間、よくわからない1人のキャラクターを演じ続け、会社を出ると突然スイッチが切れたように私に戻る。
そんな状態を何ヶ月も続けていれば、メンタルが持たなくなるのも時間の問題だった。
休職直前になると、布団の中でも電車の中でも突然涙が出てくるようになり、休みの日の前日には休みが終わることを考えて憂鬱になっていた。
学んだことや失敗したことをまとめるノートも、いつの間にか開けなくなっていた。
仕事のことばかり考えながら、スマホをいじっていた休みの日、一度だけ、「あなたが被りやすいペルソナ」という診断をしてみたことがあった。
INFJだった私の診断結果は、ESTP。
一個人が作ったようなお遊び診断だったのかもしれないが、私はその時、ESTPという診断結果が妙に腑に落ちた感覚があった。
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全てが真逆のタイプ。それはつまり、私という人間を殺して生きていることを意味していた。
私じゃない誰かを生きていたあの感覚はこれだったのか、と直感的に理解した。
内向的で理想主義で感情的で規則的な私は、
外向的で現実主義で論理的で恣意的な私として、
1日数時間を何ヶ月も生きていたのだ。
当時の私は、とにかく実力を性格でカバーしようとしていた。完璧に、言われたことは全て一度で理解して、全員から気に入られる存在になる。
無理だとわかっていても、それを目指していた。
全てが自信のなさの表れだったのだと今は思う。
完璧主義が邪魔をして、新入社員という何も分からないのが当たり前な状態を受け入れられなかったのだ。
本来の自分を殺して、上手くいくわけがない。
今なら理解できるが、あの頃の私はそんな簡単な事実さえ理解していなかった。
無数の「初めての経験」に振り回され、何が正解で、何が自分の為になるのかがわからなかった。
自分という存在を消して、周りに溶け込んできた今までのやり方が突然通用しなくなる。
アイデンティティが否定されたような現実が、ESTPというペルソナをさらに加速させた。
そして、限界を迎えた。
この経験を経て、私は自分が自分らしくいられる環境の大切さが理解できるようになった。
同時に、仕事を通して感じていた生きるということについても深く考えるきっかけになった。
適応障害になり、敷かれたレールからはドロップアウトしてしまったが、そのおかげで本当の幸せに気づくことができた。
タイミングはあれど、いずれこうなる運命だったのだろうなと今は思う。
今の私は、収入もほとんどなく、同じような人生を歩んでいる同級生は誰一人いない。
周りと足並みを揃えることを重視して生きてきた私にとって、これは大きな挑戦だ。
それでも、今が一番幸せだと胸を張って言える。
時には自分を優先することも必要だ。
だって、生きるのは自分の人生なのだから。
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