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嫌な思い出を昇華したい

今でも、メンタルが不調になると嫌な思い出が蘇ってくる。
先月書いたような「クリスマスパーティー」や、遊びと称して友人に蹴られたり、突き飛ばされたりしたこと。6人でいた仲良しグループを5:1で別々の班にされたこと、先生に怒鳴られたこと、アルバイトで先輩2人に陰湿ないじめをくらったこと。
そんな記憶が次々に。

当時の私は確かに弱かった。
言い返すという方法を知らず、ただ感じの良い人を演じていた。気づいていないだけで、きっと私が悪かったこともあるだろう。
それでもがむしゃらに頑張ってきたことが全て裏目に出たあの時を、私はまだ昨日のことのように思い出してしまう。

不幸自慢と捉えられてもしょうがないと思う。
でも、不幸な人生を歩んできたんだね、と声をかけられたいわけじゃない。そもそも私がこれらのことを自らの意思で思い出したいわけがない。
こうしてこれを書いている現在、めちゃくちゃに病んでいるわけでもない。

ただ、ふと目に入った光景や女子高生の笑い声、YouTubeで見たショート動画や推しの企画などがトリガーとなって、引き起こされてしまうのだ。
我ながら、なんて生きにくい人間なんだろうと思う。

ASDだから記憶力が鮮明なのか、HSPだから傷ついてしまうのか、INFJだから悩んでしまうのか、全然わからない。
昔に受けたカウンセリングでは、トラウマがいくつもあるのだと言われてしまった。
カウンセリングを辞めた今、それがどんな内容で、どうやって治していけるものなのかもわからない。(カウンセラーの人が退職してしまった…)

今の私は、それらを思い出さないようにし、最近ノリに乗ってきたポジティブな思考だけに頼って生きている。
なんとか今はこれで心の平穏を保てているけれど、いつ何が起きて、それが崩壊するのかは全く予想もつかない。
何か新しいことを始めれば、そのことがトリガーになる可能性だってある。

本当は嫌な思い出も受け入れられるようにしたいけれど、他者から受けた暴力的な物事の数々を認めてあげられる自信は全くない。
今でも、私を傷つけてきたやつらは全員不幸になればいいと思っている。

noteを始めとする「発信」や「整理」を通して、少しずつ自分との正しい向き合い方は会得できている気がするけれど、そこだけはずっと課題のままだ。

「もっと人を頼れるようにしないとね」
退職時、上司に言われた言葉がずっと引っかかっている。

私は昔から、人を頼ることにプラスのイメージを持っていない。
快く受け入れられた経験もなければ、頼られて感謝された記憶もほとんどないからだ。
「手を借りる」ことが負けであると信じてきた自分にとって、上司のこの言葉は絶望的なものだった。
それに、同じ課で働いていた別の上司は、私が藁をも掴む思いで頼ったところを突き放した。

適応障害になった時、診断書を前にして
「こんなの医者に言えば誰でも書いてもらえるからね」と言われたこと。
あの時の表情、空気感。
どれだけ忘れようと思っても忘れられない。
もう2年が経つというのに。

昔に比べて、それらの記憶に精神をやられる頻度は少なくなった。それでも、まだ頭の片隅に居続けて、何かの拍子に突然現れる。
きっとまだ自分の中で、解決していないからなのだろう。

頼ろうにも、やり方がわからない課題。
今の私は「わからないところがわからない」状態に近いと思う。

他者を頼るべきなのか。
自分で向き合い続けるべきなのか。
そもそも解決すべきものなのか。

正解のない難題に、ずっと頭を悩ませている。

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栖山 依夜
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