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年収1000万の代償

正直、年収1000万もあれば、実の娘に好きなものを買い与えるのは当たり前なことだと思ってしまう。
これは、わがままなのだろうか。

このタイトルは、父親に向けてのものだ。

年功序列とはいえ、社会的に成功した父親の存在が憎かった。父親のように、簡単に人を切り捨てられる人間じゃないと、稼ぐことはできないんだと知り、絶望感でいっぱいになった。

当たり前だが、父親はお金持ちだ。
一人暮らしで広い家に住んでいるし、変わった形のステレオと、ダンボールの紐みたいなイヤホン、7桁の腕輪と腕時計を持っている。
もちろん、私にはその価値は全くわからない。

お金を持つと、こんなものも買えるようになるんだぞ、とでも言いたげな顔をしてドヤる父親を見ては、私はいつも笑っていた。

父親は、いつも相手の気持ちよりも、自分を優先する人だった。
どれだけお金があっても、買うのは自分の欲しいものと娘に持っていてほしいもの、その2つだけ。

私が「欲しい」と口に出したものは全て、理屈を並べては否定された。
頭の悪い私は、いつもその言葉を間に受け、幾度となく芽を摘まれてきた。

「お金はあるのに」。
そう思ったことは何度もあったが、きっとそう口にした日には、大変な目に遭っていただろう。

結局、父親が私に与えたものは「理解されない悲しみ」と「実親に対する不信感」だけだった。
経験が大事と言う父親は、その言葉とは反対に私の夢を応援してくれたことはなかった。

「ブロガー」という私の夢もそうだ。
何事も否定から入り、夢に向かって努力している姿さえも認めてくれなかった。

何事も、お金が必要。
父親はそう豪語していた。

確かにお金は大事だ。
父親の言うことは別に間違っていない。
ただ、その前に家族に対して「愛」を投資するべきだったのだと思う。
株式投資なんかに手を出すよりも、ずっと先に。

父親は1000万という大金を得ながら、一番大事な物を失っている。
正直、私はもっと早く、その過ちに気づいて欲しかった。

私は父親のことを、父親として愛したことはないけれど、愛されていなかったかと言えば嘘になると思う。

それでも、意思の尊重がまるで感じられないその行為を通して、私は父親に本当に愛されていたのかがわからなくなってしまう。

愛されていない方が私としては、嬉しい。
変な罪悪感を感じなくて済むのだから。

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栖山 依夜
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