自分は他人の思想を知ることが大好きだ。その人がどんなことを普段考えていて、どういう優先順位で生きているのかということが非常に気になる。 人はみんなモノを考えて生きている。他人から見て全然そうとは思えない人も、いろんなことを考えているのだなぁと気付かされることが何度もあった。初めてそれを知った時は驚いたし、自分だけがたくさんのことを考えているわけではないということを知った。でも、自分が特別にものを考えているわけではないということへの落胆よりも、みんなはどんなことを考えて
普段生きていく上で自分の考え方の中心になっていることがある。それは自分自身に対してベクトルを向けるということだ。もうこの時点でなんだか胡散臭いが、続けてみる。 自分自身にベクトルを向けるということは、どういうことか?それはある事象(主にうまくいかなかったこと)に対して自分自身はどう改善していけるかを考えることである。いわゆる自責思考だ。この考え方をすることで、自分の成長につながると思っている。 この考え方が身についたのはきっと受験勉強の影響が大きいだろう。あの時
自分はルッキズムが嫌いだ。 でもルッキズムは絶対に無くならないと思う。なぜなら自分が1番ルッキズムであるということを理解しているからだ。自分は常に誰かに対して外見の評価をしている。友達、先輩、後輩、街行く人、全てに対して評価をしているだろう。そんな自分は、好きではない。どんなに悪いと思っていても無意識的にやってしまう。自分は人の外見に対して対して口出しできるような外見ではないとも思っている。そこまで理解しておいて、ルッキズムを止めることはできていない。特にひどいのが異性に対し
モテない人の特徴としてよく挙げられるものに、優しい人がある。時には条件付きで、誰にでも優しい人はモテない。とか書かれてたりもする。逆に、どんな人が好き?と聞かれた場合に優しい人と言う回答もありがちだ。 恋愛に限らずとも、優しい\優しくないと言うことはとても身近な話題になっている。優しさについて話が行われている際に毎回思うのは、優しさってなんだ?ということだ。自分は常に優しい人でありたいと思っている。この場合の優しさというものは自分の中での優しい人ということになる。パッと思い
大学に入って、たくさんの新しい人と出会う。出会ったその日に聞く質問なんて毎回おんなじようなものだ。名前、出身、部活、好きなこと、などなど。だいたい似たような答えが返ってくるから、面白くはならない。でも自分が聞いた分だけ、相手からも同じような質問が飛んでくる。趣味何?って聞かれた時によく答えるのが「ギター」か「音楽聴くこと」である。その後に続く質問は大抵決まっていて、相手がちょっとでも音楽好きな場合は、「どんなの弾くの?」とか「好きなアーティストだれ?」とかだ。これで毎回困って
一ヶ月前くらいに、サングラスを初めて買った。サングラスを買おうと思ったきっかけは以前買った伊達メガネがいい感じだったから、次はサングラスだろうという気持ちからだった。いままでサングラスというものをかけたことがなく、なんとなくのかっこよさや憧れもきっとあった。買おうと思っていて、千葉や東京で探してみたけど気に入ったものはなかった。正確にいうといいものはあってもかなり高く、手が出なかった。帰省中、たまたま時間があってぶらっとよったセカストに今回買ったサングラスがあり、即決で