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なかったことにしていたけど、わたし機能不全家族出身者です。

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I was born in 1984. 東京の郊外に生まれ育ちました。 いろんな形の機能不全家族があるけれど、わかりやすい暴力や虐待は一切ない”わかりにくい機能不全家族出身者”だ…
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#毒親

#MeToo機能不全家族出身宣言

あなたが抱えている苦しみは、どこかの誰かも持っているかもしれない あなたが経験したことは…

1984.
4年前
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#01 I was born in 1984.

1984年、わたしは東京の郊外に生まれた。 記憶がほとんどないくらいの時、満遍なくわたしたち…

1984.
4年前
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ファミレスでブサイクにしてるあの子のSOS

4つ下の弟がまだ母なしでは生きていけないくらいの時、

 わたしたち家族は毎週末決まって外…

1984.
4年前
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2,000,000,001光年の孤独

ふかふかの絨毯が敷き詰められたホールの会場で、入場の列に並びながら兄と一緒にはしゃいでい…

1984.
4年前
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ツツジにさようなら

実家の庭には立派な柿の木が植わっていて、毎年秋になるとそれはもう見事な実をたんとつけた。…

1984.
4年前
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ポニーテールのあの子

頑丈そうに見える曇りガラスはバリーンと綺麗な音を立てて崩れ落ちた。 
音が最初だったか、…

1984.
4年前

きっと君は来ない。忘れられないクリスマスイブ

父は都内のその先まで片道2時間を定年退職するまで通った。朝の通勤ラッシュを避けるために家を出るのは始発電車に間に合う時間で、帰宅はいつも21−22時頃だった。 母は看護師で、近所の市立病院に勤めていた。日勤、夜勤、夕方から夜まで勤務。不規則な勤務スケシュールが、リビングのカレンダーに毎月欠かさず書き込まれていた。 「日」「夕」「深」「休」。 「日」の文字にホッとする自分がいたのは、確か小学校高学年からで、母はわたしを「不良」と呼び始めた頃だった。 16時から勤務の「夕」の日

HOTEL 機能不全家族。

秘密にしていたわけではないけれど、 家の中で、わたしは母の足音や声にいつも緊張していた。 …

1984.
4年前
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バブルの残像

バブルの恩恵は、子どもながらに受けた。 夏には関東のグレーな海水浴場へ。 冬には「ロマンス…

1984.
4年前
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消費とロードサイドビジネス-東京郊外共働き家族の週末-

国道20号線沿い、家から車で5分足らずの場所に食品スーパー、電化製品、CDやビデオのレンタル…

1984.
4年前
2

1984年、わたしは東京の郊外で生まれ育った。

1984年、わたしは東京の郊外で生まれ育った。 街はどこまでいっても住宅地と高い空が広がって…

1984.
4年前
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嘘。

カメラに撮られるのがずっと好きじゃない。 家には応接間があって、赤い絨毯の上には、ガラス…

1984.
4年前
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不良、なわたし

どちらかといえば世の中のものに興味を持つのが早い方だった。小学校低学年の頃には少女漫画が…

1984.
4年前

家に女は一人でいい。

「気持ち悪い」「臭い」 母に言われて記憶に残る言葉がある。 それは、十代の色気付いてきたわたしへ投げられた言葉。 乱暴に投げられたその言葉に返答できたことは一度もない。 全身が硬直するから。 反撃の選択肢は最初からなかった。 中学校になって下着が必要になった時、わたしは母に言うことができなくて自分のお小遣いで下着を買った。 それは女性らしい可愛い下着が欲しかったからではなくて、部活や体育の授業で透けないようにするための下着だった。 母からそういった類の施しは一切受けたこ