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ツツジにさようなら

実家の庭には立派な柿の木が植わっていて、毎年秋になるとそれはもう見事な実をたんとつけた。柿の木の他にもツツジやボタン、藤の木など、大小様々な植物が生えられていていたけれど、満年未完成の庭のような、手入れのされているのかいないのかわからない小さなジャングルだったので、わたしはアニメで見る綺麗な青い芝生の庭にずっと憧れていた。


父は日曜日の午後は日が暮れるまで庭いじりに勤しんでいた。
週末の父の楽しみだったのは明白だった。
わたしもその小さなジャングルで一人で遊ぶのが好きで、日曜日は父の剪定した枝や葉を箒とちりとりで集めて焚き火に運んだりして、庭での時間を別々に共有していた。


日曜日の午後は焚き火の煙に巻かれ、お風呂で煙の匂いを纏った自分を確認する。それからたまちゃんの声に癒されて、サザエさんとじゃんけんする。いつもよりお風呂が早く済んでしまって笑点がまだ終わっていない事実を知るとがっかりだった。

庭の道路側には垣根としてツツジの木が当時のわたしの背丈ほどの高さで植えられていた。春になるとたくさんのピンクの花を咲かせ、わたしはその蜜を吸って、葉をバッジにした。
父はそのツツジの木をよく大きな剪定鋏を使って整えていた。太い枝部分なのか、細い枝部分なのかそれとも葉部分なのか、部位によって必要な力加減が変わるようで、ガッシャ、ガシャ、カシャ、と切れ味が悪そうな音が小刻みに長い時間響いていた。

ある時思い切って、わたしもその作業がしたい。と父に伝えた。
心配性で慎重な父は、まずその道具がいかに危なくて怖いものなのかを教える。わかった。といって、抱えるように剪定鋏を持って切ってやってみるが、思ったよりも鋏が重くて上手くいかない。刃は錆びていて余分な力が必要だった。

父はうまくできないわたしにイライラし、違う!こうだ。とわかりにくい説明を入れてくる。教え方が下手な上に怒っている父を横に作業に集中できないし全く楽しくないので、わたしはすぐにやめてしまった。


いずれにせよやり方を学んだわたしは、しばらくしてから、学校から帰ってひとりでツツジの木の剪定をした。
枝を切り落とすとき、葉を切り落とすとき、刃が入る瞬間の感触と音を体の隅々まで楽しんだ。そして大人の足で10歩ほどの距離のツツジの垣根をすべて綺麗に整えて、切り落とした枝や葉も、ちゃんと綺麗に片付けた。

剪定したかっただけで、褒めてもらいたかったわけではなかったから、わたしはあえてそのことを父には言わなかった。
その週末、わたしは父の雷を受けた。

「なんて事したんだよ!もうこの春は一つも花は咲かないぞ!」

どうやらわたしは芽が吹き始めた枝を切り落としてしまったようだった。
ツツジの花が咲くのを一番楽しみにしていたのはもちろん父だった。

ツツジは春の始まりと同時に芽が吹き、4月から5月ごろに花を咲かせる。春にしか咲かない花があり、夏に咲く花もある。この知識を父は言葉で説明してくれることはなかったが、怒られた経験からわたしが学んだ知識になった。

わたしのやりたかったことは、当たり前に父にも喜んでもらえることだとばかりに思い込んでいた。
父はわたしがわざと新芽を切ったと思ったのだろうか?

これを境にわたしは二度と剪定鋏に触ることはなく、ツツジの蜜も吸わなくなったし、葉っぱをバッジにすることもなくなった。

その春、ツツジはいくばかりか咲いた。

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