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文化人物録87(飯森範親)

#飯森範親 (指揮者、#山形交響楽団 桂冠指揮者)
→#桐朋学園大学 指揮科卒業。ベルリン、ミュンヘンで研鑚を積み、これまでにフランクフルト放送響、ケルン放送響、チェコ・フィル、モスクワ放送響等に客演。01年、ドイツ・ヴュルテンベルク・フィルハーモニー管弦楽団音楽総監督(GMD)に着任し、日本ツアーも成功に導いた。国内では94年以来、#東京交響楽団 と密接な関係を続け、正指揮者、特別客演指揮者を歴任。07年より山形交響楽団音楽監督に就任、芸術総監督を経て、22年より同楽団桂冠指揮者。現在は #パシフィックフィルハーモニア東京 音楽監督、#日本センチュリー交響楽団 首席指揮者、#群馬交響楽団 常任指揮者、#いずみシンフォニエッタ 大阪常任指揮者、#東京佼成ウインドオーケストラ 首席客演指揮者、#中部フィルハーモニー交響楽団 首席客演指揮者。

飯森さんは国内のオーケストラから常に引っ張りだこであり、とにかく忙しい人だというのが第一印象だった。そんな超多忙な方だけに直接お話ししたのは数えるほどだが、いつも真摯かつ丁寧に取材に応じていただいた。飯森さんの指揮者としての能力の高さは言うまでもないが、なんと言っても人間力がある。コミュニケーションとるのがとても上手い方なので、共演する音楽家やオーケストラからの信頼が厚いのは一目見れば分かった。

僕が公演やCDなどでよく聴いた飯森さんの演奏は山形交響楽団時代だったが、東京のオーケストラにはない独特の存在感を放っていた。都会のオケより洗練されてないかもしれないが、音楽がとてもまっすぐで朴訥、純朴なのである。山響のサウンドはやはり東京のど真ん中で聴くより山に囲まれた自然豊かな場所で聴く方が合っている。飯森さんが無理にオケを洗練させず、山響らしい音楽を作り上げていたことに大変感銘を受けた。

今も国内の複数のオーケストラのポストを兼務するなど相変わらず超多忙な生活は変わらないが、是非各地のオケの特徴を見極めた上で、それぞれのオケの個性を十二分に引き出してほしいものである。飯盛さんはそれを常に期待されているからこそ、いつまでも大人気指揮者の立場にあるのだろう。

*山響での活動について(2017年)
今新たな山響の本拠地となるホールを建設中なのですが、席数は800から2000人に一気に増えます。オペラやミュージカルもできます。2016年度から工事が始まり、19年度に完成予定です。当然山響を最優先で考えてもらっていて、間違いなく山響と私の様々なコンサートの成果は合ったと思います。これがなければ県民会館をつくろうとはならなかった。

山形テルサは山形市の所有だったのですが、今度は県のものなります。できれば我々を上手く取り込んでいただき、県と一緒にやっていきたいし、テルサのキャパに合わせたレパートリーを演奏したい。山響はもっとレパートリーを幅広くしなければならないと思います。

山響のイメージは #ブルックナー とは全く違うし、都内のオーケストラともまた違う。冬の山形蔵王の水は雪解け水できているように、日常の生活の中にある響きが特徴です。春を迎えるのを感じ、自然に囲まれた中で音楽を聴く。チェロの新倉瞳さんは「山形は #ザルツブルク にている」とおっしゃっていました。

僕と山響がやっている #モーツァルト 交響曲全曲演奏企画ですが、これは山響の蓄積の成果です。モーツァルトを演奏する際は今どういう演奏をすべきか考えることが重要で、今回は当時の編成に近い感じです。新ホールは普通建設までの風当たりが強いものですが、山形は大歓迎だった。山響への愛の深さを感じます。街でオーケストラを支えている形です。私も地方の根ざし方をみて、大変な手応えを感じています。全身全霊の演奏をしてきました。

これだけ演奏するとモーツァルトとは友達になった気分になりますが、これだけの作品を残したことは人間業ではないですね。8歳から作曲を始め、最後の交響曲が35歳の時。わずか27年間でこれだけの交響曲を残すことは普通あり得ません。有り得ない人物のあり得ない内容の音楽を残す。自分なりの視点でモーツァルトを解釈したつもりです。

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