見出し画像

「才を本としてこそ、大和魂の世に用ひらるる方も、強う侍らめ」

『光る君へ』、放送スタート!


2024年のNHK大河ドラマ『光る君へ』の放送が始まりましたね!


大河ドラマとしては2番目に古い平安時代の後期を扱う作品です。

主人公の紫式部については、文献的には幼少期のことなど情報が少なく、

一話から創作(想像)的な劇的なドラマ仕立てだったのではないかと。^^;


ともかく、平安時代の「雅(みやび)」にスポットが当てられるわけで、

和歌の贈答や、装束や調度品などの煌びやかな暮らしぶりなど、

これも日本の歴史と文化の一部として顧みられる流れが楽しみです♪


「大和魂=武士道」…ではない!?


紫式部といえばもちろん『源氏物語』の作者として有名ですね。

「世界最古の長編小説」とか「日本最古の女流文学」と言われたり、

誰もが作品の存在自体は知っているわけですが、

(『源氏物語』に関連した「古典の日」は11月1日ですね!)

(「古典はオワコンww」なんて言わせない笑)

「全編を通しで読み切った」という人はなかなかいませんよね?

かく言う僕も、原文で全てを読み切ることはできてませんので。^^;



色々な入門書や『あさきゆめみし』といった漫画、また映画もあり、

興味の湧くところから触れてみるのをオススメいたします。



で、かく言う僕自身が興味を引いたのは「大和魂」に関するお話でした。


「大和魂」と聞いてまず思い浮かべるのは、

「かくすればかくなるものと知りながら止むに止まれぬ大和魂」

「身はたとい武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂」


という二首が代表的に思い出される、吉田松陰先生の生き様ですね。

日本の歴史に関して、幕末から興味を持つ人も(自分含め)かなり多いかと。



あるいは、同じ意味で用いられる「大和心」に関しても、

「敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花」

という本居宣長が詠んだ和歌も思い出されます。

この和歌が、靖国神社の遊就館の展示の最初に掲げられているように、

「散り際が美しい」という「桜」の有り様を、


「武士道は死ぬことと見つけたり」(『葉隠』)

などと結びつけて理解されてきた歴史があるわけです。


ところが、江戸時代を生きた本居宣長自身にその意図はありませんでした!

要するに、幕末以降の歪曲?誤解?に近い話だというのですね。


僕がこの事実を知ったのは、恥ずかしながらもここ二〜三年の話でして、

小林秀雄の『本居宣長』や『学生との対話』(いずれも新潮文庫)を、

本格的に読んでからなんですよね。^^;


そもそも「和魂」=「女性性」、という話。


「大和魂」「大いなる和魂」と読めますし、

「大和」も元は「和(やわらぎ)」に「大」を付けて強調したわけです。


神道では「一霊四魂」(いちれいしこん)と言われますが、

「四魂」とは、

「荒魂(あらみたま)」「和魂(にぎみたま)」
「幸魂(さきみたま)」「奇魂(くしみたま)」

の四つを言います(「八紘一宇の塔」にも刻まれていたのを覚えています)。


通常、「荒魂」「和魂」の二つ「陰陽」の原理で語られます。

「荒魂」とは、文字通り「荒々しい」様子で「男性性」を表し、

「和魂」とは、その反対の「女性性」だというわけです。

伊勢神宮に祀られる天照大神が、その両面を持った存在ですね。

(天照大神の荒魂は「八十禍津日神=大災害」と言うお話。^^;)


「大和魂」は紫式部が初めて使った言葉!


要するに、今回言いたかったのはこれなんです!!


紫式部が『源氏物語』の中で、光源氏に語らせた言葉として、

「大和魂」は文献上初めて登場したのです!


当然、当初から「武士道」や「男らしさ」を表す意図はなかったわけです。

その証拠に、「大和魂」の反対に置かれたのが、

「才(ざえ)」

と言って、要するに男性が教養として身につける漢文の知識のことです。


さらにわかりやすく、ある本からの引用をさせていただきます。

折りにあってめでたいということ、そのときどきの臨機応変な答えができるというのは日本では非常に大事で、これを「大和魂」といいました。大和魂というのは、その折々にあってふさわしいなにかができること。桜吹雪のようにいさぎよく散るというのは、末世の思想であって、明治時代にそうなってしまっている。元来は、中国のものと日本のものとうまく折衷できるということだったと思う。それから発して、なにかあったときに臨機応変に知っている詩句をちょっと変えて合わせて答えたりすると、立派だということになった。大和魂とは、通俗的に言えば、要するに要領がいいということです。それは『源氏物語』に出ていて、光源氏が「大和魂」について使っている使い方その場その場に応じて非常に柔軟に事を処するということで、武張ったものではなかった。いずれにしても、女たちのなかにも大和魂がある。だから、作者としての紫式部や清少納言は、素晴らしい大和魂の持ち主だった。

大岡信『あなたに語る日本文学史』(角川ソフィア文庫)より

この事実を初めて知った時は衝撃的で「目から鱗」だったのですが、

皆さんも、どこか「天地がひっくり返る」ような気分がしませんか?

「女性性」(寛容さ)が決定的に足りない現代


もちろん、男(漢)としては、武士道的な「大和魂」の理解も大切にしたく、

大切なものを守るために、漢として立たなければいけない時はあります。


ですが、より大きな視点から、「歴史の深い反省」を試みると、

明治時代は、「富国強兵」と言われた通り、極めて男性的なイメージ。

逆に、その前の江戸時代は、

250年の平和が保たれ、庶民文化が花開いた寛容なイメージ。


平安時代は、女性用の「仮名文字」が発明され、女流文学が栄えました。

契機となったのは、「学問の神様」として有名な菅原道真が、

「和魂漢才」(わこんかんさい)

と唱え、遣唐使を廃止した(「894白紙に戻す遣唐使」ですね!)

ことによる、日本独自の「国風文化」の隆盛です!!

(「和魂漢才」も、まんま「女性性と男性性」じゃないか!笑)


平安時代に登場した「大和魂」「大和心」の本当の意味を顧みて、

「雅(みやび)」と称された温和で煌びやかな文化の様子を確かめて、

現代を照らす「鑑(かがみ)」としての歴史を学び直して参ります!


新年早々の長文をお読みいただき、誠にありがとうございました!m(_ _)m

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?