ヒッチコック「めまい」について私の幼少期の解釈が今でも正しいと思っているし、周知の事実だと思っていたのだが、ネットで検索してもその解釈が出てこない件(ネタバレ注意)
ヒッチコックの代表作「めまい」は私にとって、映画のオールタイムベストで常に上位争いをしている大傑作である。
もちろん、他のヒッチコック作品含む古典的名作はほかにもたっぷりあるが、特に「めまい」は、私の中で特別な地位を占めている。
なぜかというと、初見の際……確か小学生の頃だが、見終わった直後に"あること"に気づいて、その構成の妙に唸った……というのがかなり大きいと思う。
その"あること"が、本稿の主題。
これ、私は初見からこれまでの三十余年、鑑賞者なら誰でも気づくごく一般的な解釈だと思っていたし、……やはりそのとおりかもしれない。
ただ今回、この解釈についてネット検索したら……これが見つからず「???」となったことから、試しにここに書いてみる次第である。なので本稿を読んだ人が「なんだ、あれのことね。もちろん知っているよ」か、「なにそのバカな解釈? 誤解にもほどがある」か、どっちの反応があるのか怖いような楽しみのような。
ともあれ、本題(以下、がっつりネタバレ注意)。
小学生だった私が気づいた"あること"というのは、第一部と第二部の間にある、精神病院と思われるシーンについて。
あのシーンが印象的だったなぁと思い返すと同時に、次の疑問と、解釈が浮かんだわけです。
<浮かんだ疑問>
① なぜあれほど重傷だったスコッティが、次の場面では回復しているのか
② なぜあれほど印象的な元婚約者(ミッジ)は、第二部に出てこないのか
③ なぜ映画のラストシーンで、余韻もなくスパッと終わるのか
(後述するように、カットされたシーンが存在するらしい。しかし、ではなぜカットされたのか)
<そこから導き出した解釈>
・あの精神病院のシーンは、第二部のあとの出来事である
(もしくは、両方からつながる。一部と二部は二重"らせん"のような存在)
この解釈であれば、疑問が解消されてます……よね?
スコッティは回復していないし、ミッジは最後まで彼を見守っている。
さらにこの解釈で映画を見返すと、例の精神病院のシーンでのミッジと医師との会話が、ダブルミーニングなことに気づかされます。
医師「女性を死なせたという罪の意識が~」
ミッジ「彼女を深く愛していた」(そして今も)
ほら、第二部のあとでも(あとこそ?)成立しますよね。
もっというなら、オープニングやポスターで印象的な「らせん模様」も、この解釈を暗示しているように見えてくる。第一部と第二部の構造が似ている(少なくとも最後は同じ)ことから、精神病院のシーン(とその直前にある墜落)は、いわば螺旋における真ん中の渦、ないし特異点。
先ほど二重らせんのように~と書いたけど、第一部、第二部の両方にあの場面がつながっている~という解釈も捨てがたいです。
ちなみにカットされたというのは、映画の最後、ジュディの墜落のあとに入っていたというエンディング。スコッティとミッジが一緒にラジオで、エルスターの逮捕を聞いている~というシーンだそう。
つまりこれを普通に見たら「スコッティはまたもやミッジに救われて、立ち直るのだろう」と思わせるシーンで、"そう考えると"本稿の解釈とは矛盾します。でも、そう考えなければ……つまり事実だけ見たらシーン自体は矛盾しないですよね、とまだ反論してみる。
結局そのあとも立ち直れずに、むしろ悪化して、あのシーンにつながったのかもしれないじゃないですか。
それに、結局このシーンはカットされているわけです。なぜカットしたのか? それこそ、本稿で書いたような解釈の余地を残すために、相性が悪いシーンをカットしたんじゃないか……と私は思っていたわけです。
……違いますかね(実はここまで書いて、やはり違う気がしてきたというオチ。30年以上勘違いしていたのか、、、おっと、めまいが)。
※画像はすべてインターネット・ムービー・データベースより引用しました
©Photo by Jessie Eastland