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分かんないよ、綾瀬川|ダイヤモンドの功罪

単行本7巻まで読みました。
※以下、ネタバレを含みます。


生々しい、少年たちの家庭環境

ダイヤモンドの功罪は主人公が小学5年生の時から始まる。
小学5年生なんて、少し大人やお金の事情を察せるようになりつつも、自分で解決させることは出来ない、苦しい時期だと思う。自分もその時期、家庭の事情を自覚し始め、眠れない日が多かった記憶がある。ダイヤモンドの功罪では、そんな多感な時期の少年たちの様々な家庭環境がいっそ生々しく描かれている。

主人公綾瀬川次郎の家は、父親が単身赴任で不在、母親ひとりで姉ふたり(同居の姉がふたり、実際は姉が3人いる)と次郎を育てている。恐らくそこまでの金銭的余裕はない。運動は小さいときからずば抜けて得意だったろうに、小学生高学年まで習い事が出来なかった状況が、「後から入ってきて全てをもっていく天才」を引き立てている。

綾瀬川の健やかな成長に、母親は金銭的余裕がないとしても迷惑だと思うことなんて決してないだろう。でも綾瀬川は、自分が着れなくなった服を着る、自身の成長痛を慮って安くないサプリメントを渡してくれる母親を見て、辞めるために野球をしている自分に罪悪感を抱く。誰も悪くない。誰も悪くないのに、この世界には痛々しいまでの格差がある。父親が近くにいれば、もう少し前から綾瀬川家に金銭的余裕があれば、もしかすると綾瀬川と周囲の苦悩はなかったのかもしれない。

枚方ベアーズの大和は恐らく裕福な家庭で、野球について綾瀬川と話し込めるほど知識がある。しかし体格には恵まれていない。足立フェニックスのヒデの母は典型的なヒス構文で、ヒデの心に暗い影を落とす。

7巻でクローズアップされている天野倉は、おそらく祖父母の介護で両親が家を空けがちで、家の中が荒れている描写がある。鍵閉めを侑の母から侑に確認するように頼まれる様子があったりした最後、天野倉が洗濯機の前で洗剤の種類が分からず立ち尽くす描写で7巻は終わる。全て生々しく、えげつない描写だと思う。

世間では決して珍しくない家庭の事情で、誰かが虐待を受けているわけではない。ただ、純粋に野球に集中することを、その子の世界は許してくれない。家庭と学校、スポーツクラブ程度が世界の全てな彼らに、その事実は重すぎる程のしかかっている。

不気味さを感じるマンガ表現

ダイヤモンドの功罪を初めて読んだとき、「青野くんに触りたいから死にたい」や「光が死んだ夏」を読んだ時と同じ感覚になった。それほど表現に強くホラーを感じたという話だ。

7巻でいうと初めの天野倉との久しぶりの会話。セリフの吹き出しを被せることで会話が被ってしまう気まずさを肌で感じるほど表現している。

全体を通して、度々ぞっとするほど複雑な感情が豊かに乗った登場人物の表情、普通漫画では省くような家の中の描写や人物の身振り手振りや台詞、綾瀬川がまだただの小学生であると実感させる小学生の日常の描写、その中でもひとつと抜けて高く発育の良さが透けて見える綾瀬川の机…。

どこまでも深く、濃く、コマひとつひとつに彼らの生活が透けて見える。こんなに細かく描写をしているマンガはなかなか珍しいと思う。

説明描写がほぼないため、登場人物のフルネームを覚えにくいことが少し難点に感じるが、それを補って余りあるマンガ表現の上手さが、ダイヤモンドの功罪にはある。

綾瀬川の「やさしさ」

綾瀬川はスポーツ漫画の主人公だが、他の主人公たちと大きく異なっている点がある。それは、勝利・成長への執着だ。綾瀬川にはそれがない。彼が勝利すれば負けて、大人に怒られたり、悔しい気持ちを抱く他人がいる。綾瀬川はその事実に、自分が勝利したという喜びよりも強く、罪悪感を覚える。

なので綾瀬川は、相手の為を思ってわざと負ける戦い方をしたり、力を抜いたりする。それは味方からすれば許せないことで、傲慢ですらある。綾瀬川にはわざとがバレないように負けられるくらいの圧倒的な強さがあり、それに優越感を持たない優しさと小5には不釣り合いなくらいの社会性がある。
綾瀬川は圧倒的強者の主人公だが、なろう系のような優越感や勝利への執着がない。そのアンバランスさが、周囲を巻き込んで不幸にしてしまう。

綾瀬川の罪は今のところ「やさしさ」なのかもしれない。それは甘さであり、傲慢さだからだ。7巻では辞めるために続けている野球の中で、再度勝利への執着を見つける展開になる。「やさしさ」を捨て、自分の勝利のために非情になれる綾瀬川はきっとどこまでも強者になれる。ダイヤモンドの功罪になろう系展開を期待する読者は恐らく一定数いるだろう。強者は圧倒的に弱者を踏みつけるものだからだ。しかし、「やさしい」綾瀬川はそれを望まない。今後、綾瀬川が強者として成長するためにはきっとそのやさしさを捨てなければならないのだろう。どこまでも残酷に、世界は綾瀬川に成長を望む。

綾瀬川が「金煌」のエースになるまで

この物語は、綾瀬川が「金煌」という高校のエースナンバーを背負って夏のマウンドに立つ描写からスタートする。ダイヤモンドの功罪は綾瀬川がどういう過程を以て高校でエースを張るまで野球を続けるのか、という物語だ。読者は誰もが、彼が将来「金煌」という恐らく私立の名門高校でエースとして輝く未来があることを知っている。

だが、綾瀬川はまだリトルリーグの小学5年生だ。高校生まであと4年ある。まだシニアで野球を続けるかどうかも定かではない。野球漫画としては未知の展開を見せており、目が離せない。

綾瀬川が分からない

こいつ
二重人格か?

ダイヤモンドの功罪6巻p104

足立フェニックスのキャッチャー、嬉野の台詞だ。6巻まで、自分の感想もまさにこれだった。
野球を始めたばかりとは思えない、非情なまでに勝利のための俯瞰したゲームメイクは貪欲にしているのに、相手が怒られることが何より苦手で途端に引き分けを望み、リトルで野球を辞めるイガとの夢を本気で願っている。矛盾の塊で、うれしさんのいう通り二重人格にすら思え、綾瀬川が分からない…と思ってしまった。
7巻では、綾瀬川のやさしさが少し形を変え、「天野倉のために、天野倉に勝つ」という勝利への意志を見せてくれた。今後、こうして綾瀬川は自分の中の矛盾に折り合いをつけ、子供ならではのイガとの夢を諦めていくのだろう。指導者ではないといえ野球を齧っている草野球の大人が、綾瀬川の才能を放っておけるわけがない。

綾瀬川の苦悩は結局凡人の自分には分からない。
どうか、アヤが出来るだけ苦しまずやさしさを捨てられることを願うことしかできない。
そんな自分も、綾瀬川に無責任な期待をする嫌な大人のひとりになってしまったのだと僅かに絶望した。
ダイヤモンドの光に焼かれている。


余談(綾瀬川の名前)

綾瀬川次郎という名前も特徴的だな~と思う。長男なのに次郎?綾瀬川という名字の華やかさに不釣り合いなほど主人公にしては地味な名前で、違和感が拭えない。清峰葉流火(忘却バッテリー)までとは言わないが、もう少し派手でもよかったな~と思ったり、これにも含みがありそうだな~と思ったり。

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