【代表通信 vol.4】合理性とは反対にあるもの
大変ご無沙汰しております。
ほぼ2年ぶりの代表通信の更新になります。
先日SNSでもご連絡しましたが、私が当法人の代表理事に就任してから3期が終了しました。今まで支えてくださったチームのみんな、それからお客様、クライアントの方々、仲間全てに感謝しています。
4期である今期は毎月代表通信を発信していきたいと思っています。(頑張ります笑)
もちろん個人のブログについても不定期ではありますが更新は続けていきたいと思いますのでそちらもご興味があればご覧ください。
さて、本題に移りましょう。
合理性を取り上げる理由
今回の代表通信のキーワードは「合理性」です。
なぜ「合理性」を取り上げたのかというと、資本主義社会において「合理性」は非常に重要な言葉です。
"合理的"に物事を判断し、"合理的に"コトを進めていく。それによって経済発展に貢献し、また合理性が再現性を高める。
これは資本主義社会が始まってから続く考え方です。
では、なぜこのタイミングであえて「合理性」を今取り上げるのか。
その答えは、世間を賑わす「ChatGPT」の存在があるからです。
「ChatGPT」の出現により、いよいよ人類はシンギュラリティ時代に突入したとリアルに実感してきています。
困ったことがあればChatGPTを使えばあらかたの問題は解決しますし、自分自身の考えが正しいかどうか、サクッとレビューしてほしいときに使えます。極めて合理性の高いツールであり、それによってもう一次元上の合理的社会に突入するであろうと思うわけです。
このnoteにもAIアシスト機能が実装されていますよね。notionにAIライティング機能が出たのにも驚きましたし、あらゆるものがChatGPTはじめ、さまざまなAIとプラグインされることによって本当になんでも合理的に、間違いなく、コトを一瞬で進めることができます。
最近は私も業務においてもChatGPTをフル活用しています。
このような時代において、果たして我々人間には何が残るのであろうか。
ということで、今回は合理性の反対にあるもの、と題した内容を書こうと思ったわけです。
AIと人間:AI側の話
まずAIについて記述していきたいと思います。
そもそもAIというのはデータの蓄積からなるArtificial (人工的)なIntelligence (知能)なわけです。
基本的には人間の再現をしようとする試みです。ある意味AIの開発は人間理解と言ってもそんなに間違いではないかなと思っています。
例えば、人がお腹が空いている時にラーメンとモナリザの絵を目の前に出されたときに、普通であればラーメンを選びますよね。機械でもその挙動を取るように様々なロジック(アルゴリズムとして)を音声認識や画像認識等の技術を使って自動的に判断をさせています。
しかしながら、テクノロジーは基本的にAという指示をしたらA以外はあり得ません。
人間であれば「りんご」と書けば頭の中に赤や緑のフォルムをイメージするのは難しくありませんが、AIからすれば「りんご」と「りんごでないもの」を何億、何兆パターンを機械に認識させていき正しい判断ができるように構築していきます。
ただし先ほども伝えたように、イレギュラーな対応はしません。少なくともアルゴリズムで定義されていないもの以外の動きは取りません。
そして、これまでのAIは合理的な判断をし続けるようにデザインされています。
ChatGPTも正しいプロンプトを書いてあげれば世の中の90%のことは解決できてしまいそうな勢いのツールです。まさにドラえもんが現れたと言っても過言ではないかなと思います。
より多くの資本を生み出すために、今後はAIが中心になってより合理的な判断をし続けていくでしょう。
以下の動画でもまさにそんなことが言われている内容になっています。
AIと人間:人間側の話
では、人間はどうなのか、という点を考えていきたいと思います。
正直私はシンギュラリティ時代において、人間がどのように人間として生活していくべきなのか、答えが出ていません。
あくまでここから書くことについては私の仮説であったり、多分に私の個人の見解が入っておりますので、一見解としてみていただければと思います。
結論から言うと、「人間は人間との駆け引きを楽しむ」ということでしかないのかなと考えています。
この考えに至った大きな要因の一つは、先日行われた将棋の王将戦、藤井聡太5冠と羽生善治9段の7番勝負を見たことです。
最近個人的に将棋にハマっているのですが、将棋や囲碁ではすでにAIが人間の知能を上回っているというのは有名な話です。
2017年には囲碁の世界トップ棋士である柯潔にコンピュータ囲碁プログラムの「AlphaGo」が勝利し、AlphaGoを人間との対局から引退させると発表し、大きな話題を呼びました。
そして、将棋界も同様にAIが発達しており、最近のプロ棋士の対局では、次の一手をどこに指すのが最善なのかAIによってリコメンドされ、テレビやYouTube等で配信を見ている視聴者は、「AIと同じように人間が指すのか」それとも「違う戦い方」をするのか、という新たな視聴方法が誕生しています。
もちろん対局者同士はAIを使うわけではないので、目の前の棋士と頭脳と頭脳で対峙しています。
この将棋という競技から何を学んだのかというと、結局は人間と人間との駆け引きに人間は感動し、心を動かされる、ということなのです。
王将戦を見ていると、時にAIがリコメンドする5手以外にある手を打ったりします。そして、そこから新しい手の流れやストーリーが生まれていきます。
そして、AIであれば1秒で最善手を指しますが、人間は時に1時間以上も時間をかけて1手を指します。この行為自体が本当に美しく、そして感動を生み出します。一つひとつ丁寧に「こう打ったらこう」とシミュレーションを行なっていった先の最善手を棋士は指します。
この人間の知能の限界への挑戦に視聴者の心は奪われます。
将棋をやったことがある人にはわかるかと思いますが、将棋には一局の中に序盤、中盤、終盤と3つの局面に分かれ、序盤は守備固め、中盤は攻めを仕掛けるタイミング、そして詰みを見据えた終盤という形になっており、相手と共にその3つの局面を流れるように協働しながら作り上げていく競技であったりもします。
なので、相手が合理性とは全く反対にある虚をつく一手を打つことによってストーリーの展開が一気に変わっていきます。
相手は人間であり、情緒的な存在であることも大きな要素になっています。自分の陣地に近い戦いは避けたい、やリスクをとって攻めに行く、など心理的な状況においても思考に影響を及ぼします。
この駆け引き、呼吸の感覚こそがいかにも人間的だなと思うわけです。
そしてシンギュラリティ時代に突入したであろう私たちの社会もいずれは全ての局面において、「人間同士の駆け引きを楽しむ」だけが人間としての営みになるのではないだろうか、と思っています。
これまでは、効果の最大化、合理性、を求めて資本主義社会を突っ走ってきた私たちですが、実はそれは私たちの役割ではなかったのです。
究極の合理性の先にあるもの
ChatGPT時代を生きる私たちにとって、究極の合理社会が到来してきました。〇〇を実現したいと思えば、そこに向かって一直線に向かうことができます。
では、人間は何をするのか、というと「人との対峙」なのだろうと思います。
きっとそれはずっと前からやってきたことだと思います。
圧倒的にこっちの手法をやった方が便利なのに。
ここと組んだ方がより多くのベネフィットが得られるのに。
そう思いながらも、私たちは逆の行動をしてきました。
きっとこれこそが私たちの生きる道なのかもしれません。
合理性の追求にはテクノロジーを。人との対峙には人間を。
ということで、本日はここまでにします。
みなさんともぜひこれからの社会を生きるためにはどうたち振る舞えば良いのかを一緒に考えていきたいです。