見出し画像

新しい本の、最初の1ページ

 夜の蒲田駅。突然の約束を取り付けて友だちとご飯を食べた。コンビニで買ったピノを広場で食べながら、「この前さ」と切り出す。

 市内の図書館に行ったとき、子ども向けの本棚を巡った。平日の夕方、雨が降る日。懐かしい背表紙を辿っていると、本棚の近くに置かれた椅子に座る、男の子がいた。
 その子はじっと本を読んでいた。近くに通る人など気にせずに。見た瞬間「あぁ、私は変わったんだ」と思った。その場所がどこか忘れてしまうくらい、集中して本を読んだあの時には戻れないんだ。

 そんなとりとめもない話を友だちは聞いてくれた。わかる、と共感が返ってきた。「没頭して読むの、あんまなくなったもんね」などと会話をした。

   ・ ・ ・

あんなに好きだった本を読んで
あれ こんなに単調だったかな って
思った途端 考えてしまった
つまらなくなったのは 本か それとも私か

傘村トータ「22歳の反抗」

 昨日で、22歳を終えた。誕生日の今日を、初めて訪れる場所で迎える。旅行先で誕生日を過ごすのは初めてだ。

 そういえばこんな歌があったなと思い、旅の終わりの電車で聞く。引用した歌詞のような内容を、ちょうど友だちと話したところだったので驚いた。

 どんどん本が読めなくなるように思う。本屋さんでピンと来たものを買わずに、口コミを見て決めてしまうことだってある。長編小説を読んでいると、長い情景描写にそこまで深く読み込めず、飽きてしまいそうになる。自分で発掘した本を、誰の意見でもなく自分の気持ちで好きでいることが難しくなった。

 好きだった本を再び開けば、これは筆者の主張なのかなぁとか、こういうストーリーの構成はどうどう、と分析してみたり。出てくる人物たちは他者となり、私は本の世界を旅することができなくなった。

 じゃあおとなになるのが、年を取るのが嫌なの?

 そう聞かれれば、「ううん」と答えるだろう。本の世界は、自分だけの力では遠くに行けない小さな私に翼をくれた。どんな場所にも連れて行ってくれた。知らない人のところにも、知らない場所のところにも。

 でも今は、自分の選択が翼となって、現実の世界を旅していける。高校生のころ教科書で見たあの景色を、目の前で見た。小説やゲームの舞台となった場所に足を運び、同じ空気を吸った。

 今日だって、水戸の納豆は普通よりネバネバしてると発見した。水戸といえば納豆、なんて地理ですぐに習うけど、実際行って食べると、いつも食べている納豆とは違うなぁと気づく。

 おとなになることが怖かった。すぐにいなくなってしまいたいと思っていた。けれど予想以上に世界は面白く、自分の足でどこまでも行ける。だからこそ、今日報じられたニュースが辛かった。どこまでもいけなくなってしまうような心地がした。

   ・ ・ ・

 23歳になる11月、私は色んな場所を旅した。旅をしようと決めるまで、全く知らなかった場所もある。そこで出会った人と、景色と、経験と。もっといろんなところに行ってみたいと思えてしまう。

 何にも熱中できなくなっているようで怖かった。けれど、私は私の毎日に没頭していたんだなぁと気づく。

 図書館で本を読むあの男の子に戻ることはできない。それでも私は前に進んでいける。一緒に歳を重ねていきたいと思える人たちがいる。

 「お誕生日おめでとう」を私に。22歳の本を閉じて、また新しい本を開く。今日はその1ページ目。誰かに渡したときに読み入ってしまうような本を作っていけたらいいね。


いいなと思ったら応援しよう!