宇宙に行かずとも
夜遅くに帰宅する途中、ふときらめく星を見つけた。地元ではよく帰り道に空を見上げ、星があるただそれだけの空を、立ち止まって見ていた。
都会に来てからは星がよく見えず、見上げる機会も減っていたけれど、たまたまその日見上げた空はあまりにも鮮明に星が瞬いていた。冬の、空気が澄んだ夜。晴れきった空にたくさんの星が輝いていた。
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小さいときから宇宙が好きだった。小学校から中学校にかけて、本やプラネタリウムで集めた情報をノートにまとめるなんてこともしていた。
自分が生きているところから遥か遠く、星は真っ暗な宇宙空間でただ光り続ける。弱く光る星を見ると、もしかしたら大きな星ではないのかも、とか、遠くの星なのかも、とか、そういう想像をして、地球まで光を放ってくれてありがとう、ウェルカム! みたいな気持ちになる。
宇宙は今だ解明されていないことも多く、そういうミステリアスな部分にも惹かれるものがあったのだと思う。ダークマターとかダークエネルギーとか、聞くだけで面白い。
それでも自分の好きより得意を優先した高校の頃の私は、理系に進まなかった。素粒子物理学とか学び始めたら面白いのだろうけど、受験を考えるといろんなことに手を出せない。そうして私は、宇宙が好きなことさえも過去にしようとしていた。
この場面を見たとき「なんでわかるんだろう」とびっくりした。宇宙兄弟の登場人物とは憧れ方が違うけど、でも宇宙を見たことがあった。
どんな夜だったか覚えていない。寝付けなくて、お手洗いに行くため暗くなった部屋を歩いていた。寝室を出て、リビングを通ったとき、思わず立ち止まった。
宇宙があった。真っ暗な部屋の窓の向こう、仙台市内の夜景が宇宙に見えたのだった。明るいところが銀河系で、住宅街にある街灯がぽつぽつと灯っているのも離れた星のように見えた。
マンガのお話はどこまでも真剣に宇宙を目指すものだし、宇宙に対して興味本位の私が共感していいものかわからない。それでも強く思った。「私も、宇宙に憧れてた。だから地球にいながら宇宙を見れたんだ」と。
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空を見上げると、刻一刻と変化していく雲や星が見える。一瞬として同じ模様にはならないんだと、少しずつ世界は変わっているんだと思うと、晴れた夜の澄んだ空気が頭をすっきりさせてくれる。高校生の私もきっと、その日にあった言葉にできないモヤモヤした気持ちを忘れたくてそうしていた。
空を見ることで解決できることなんて何もない。また明日からも頑張ろうとも思えない。でも、自分はちっぽけな存在なんだと認識させられる。何もできなくたって当たり前なのに、何かを残そうとして必死に頑張っている自分が可愛く思えてくる。まあとりあえず家に帰ろう、寝よう、そんな気持ちにさせてくれた。
最近は仕事の関係で、朝日が上る前の夜空を見る。まだ空にいる月を見ると、自分頑張って起きたなぁと褒めたくなる。そうやって、日々のつらいことをなかったように暮らしていくことが、ようやくできるようになった。また、宇宙について調べようかな。
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