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【読書記録】答えの行方は

どんなに考えても、
今は答えが出ないことがある。
時間が経たないと、
未来にならないと、
分からない答えがある。
それまでに――
答えが運ばれてくるまでに、
僕たちは、何を考えるだろう?

 これは、『答えが運ばれてくるまでに ~ A book without Answers~ 』という本の一節だ。文章は時雨沢恵一さんが、絵は黒星紅白さんが担当しており、『キノの旅』のタッグで書かれた本だ。

 私はこの本を、高校受験の前によく読んでいた。勉強に集中できなくなったとき、自分の部屋にある本棚を眺めては、この本を手に取った。とても短い本だから、すぐに読み終わる。そうしたら少し息抜きをした気分になって、私はまた勉強を再開するのだった。

 やさしい世界観のこの本が、私の受験生活を支えてくれていた。当時はこの本が息抜きにちょうどいいから読んでいるのだ、と思っていた。けれど、今さっき目に入ったこの本のタイトルを見て、私は疑問に思った。「私はあのとき、何の答えを求めていたのだろう?」と。

 なんとなくで読んでいたと言えば、きっとそうだろう。それでも、繰り返し読んだこの本を、高校受験の後に繰り返し読むことはなかった(大学受験では全く手に取らなかった)。きっと、あのときの私にはこの本が必要だったのだ。今となっては、この本を読んでいたとき、どんなことを考えていたかを思い出すことは難しい。どの掌編が一番好きだったかもあまり覚えていない。

 けれど、上に引用した一節を今読み返してみると、ああ、きっと、これこそが求めていた答えだったのかもしれない、と気づいたのだ。

   ・ ・ ・

 私には、そのときには読めない本というのが存在する。田中芳樹さんの『銀河英雄伝説』シリーズは、高校生のときには読めなかったけれど、大学生になったら読めるようになった。池田晶子さんの『14歳からの哲学』は、中学生のときは読めなかったけれど、高校生になったら読めるようになった。

 そんな風に、物事にはタイミングがあるということを、本を通じて私は知った。だから、最近は大人になるのも悪くないなぁ、といった気持ちになる。これまで何度も挑戦して読むことができなかったドラッカーの『マネジメント』も、アニメは見たことがあっても原作を読むことができていない竹宮ゆゆこさんの『とらドラ!』も、今は読むことができていないけれど、いつか読めるようになるかもしれないし、もしかしたら読めないかもしれない。そんな自分の変わっていくところ・変わらないところを知っていくのが、私は好きだ。

 どんなに頑張って理解しようと考えても、読めない本。自分が変わらないと、自分がほかの場面である経験をしないと、読めない本。それまでに、読めない本が、読めるようになるまで、自分は何を経験するんだろう。

 自分が中学生のときに求めていた答えは、きっと「答え」だ。確実に正しいと言われるもの。善いものとされるもの。この世界には、正しいことや善いとされることがあって、自分はどうしたらそのルールに則れるのか、自分が失敗しないための「答え」を欲していたのではないか。

 けれど、今の私は知っている。この世界には、「答え」なんてない。「答え」がないことそれ自体が「答え」であること。出来事はあっても、それに正しいも悪いもない。誰かが、その人の価値観で見ることで、正しいこと・悪いことは分けられるのだと。もしこの世界に「答え」があるのだとしたら、きっと私には見えないようにできているし、探せば見つかるものだとしても、私はそれを知らないふりをするだろう。

 私は、答えがないという「答え」を、今、このタイミングだからこそ、得ることができた。きっと、この先も、「答え」は変わる。私が変わっていけば、今の「答え」も、私にとって価値がなくなるかもしれない。それを悲しいことだとは思わない。その道のりこそが、「答えが運ばれてくるまでに考えること」だからだ。

 きっと、この世界にはたくさんの「答え」があって、私はどんどんそれを理解していくのだろう。それでも、私は「たった一つの絶対的な答え」なんてものは信じない。そうしてしまえば、私は生きる意味を失ってしまう。答えが運ばれてくるまでに、私は私なりに、この道を歩いて行くのだ。時には寄り道をしながら、時にはがむしゃらに走りながら。答えがない世界で、私だけの「答え」が運ばれることを少しだけ期待しながら、私は歩き出す。

 答えがないことそれ自体が、自由に生きることを許してくれていること。中学生のとき繰り返し読んだこの本の中に、今の気づきが記されていることが、なんだかうれしい。

#推薦図書

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