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【感想】束の間の一花 #10(最終回)

*画像は公式HPより*

 ドラマ「束の間の一花」が最終回を迎えた。最終回含む全体の感想を残しておきたい。

瞳の情報量

 二人(藤原さくらさんと京本大我さん)の雰囲気と演技力からくる瞳の情報量が凄すぎる。目線の動かし方はもちろん、まばたきの間隔やその閉じ方、まるで目だけで気持ちを伝えるかのよう。随所で見えていたけれど、最終話は感情の揺れ動きが激しい分、なおさらそれを強く感じた。

 そしてそれが、ただ情報量が凄いだけではなく、二人とも別種類の伝え方である点も素敵だと思う。役のキャラクターからくるものは大きいけれど、それを的確に表現できるのがさすが。

  一花(藤原さくら)は大きな瞳をストレートに動かす。驚くときは見開くし、悲しいときは目の光がないように見える。笑ったときは本当に花が咲いたようだし、嬉しそうにする目はこちらまで嬉しくなるような目だ。

 対する萬木(京本大我)は、まばたきの表現がダイレクトに伝わる。京本大我さんはくりっとした目ではあるけれど、目頭がきゅっとしている&涙袋が大きいからかちょっと眠たげな印象があって、それが複雑な感情表現に適しているんだろうなぁと思う(表情の作り方で、同じ人とは思えないくらい人が変わったように見えてしまう)。はっきりとは言えない曖昧さを抱えた萬木のキャラクター性が、そのまばたきだけで伝わってくるようだった。

水彩絵具のような色彩感覚

 ストーリーで惹き付けるドラマは多く存在する。謎が謎を呼び、とか、この恋模様はどこへ、とか。ドラマ「束の間の一花」は、一花と萬木の残りのいのちの物語。その終着点はきっとこうだろう、というイメージは見ている人にとってつきやすいのではないか。

 じゃあ、どこでこのドラマが人を惹き付けているのか。ドラマを見ていると、まるで絵画のようだと思うことが多々あった。それほど、色彩や構図といった要素に気を配っているように感じる。

 一花の洋服はほぼ黄色が取り入れられ、青色は社会や理不尽なことといった象徴として用いられている(詳しくは前のnoteで)。その中間色となる緑色のバスや木々の緑は二人を囲む。

 最終話では、序盤の海のシーン、一花の成人式とトマトなどがその象徴だろう。

 二人が大学での特別講義をしていたとき、萬木や一花の後ろには濃紺がありながらも、希望のような黄色の光がポツンと灯されていた。しかし、海へと舞台が移されると、光のない真っ暗闇が二人を襲う。紺色に染まりきった二人。希望は光ではなく、二人の中にしかなくなった。

 また、一花の成人式の赤の着物は友人におすすめされたものだ。その赤を引き継ぐように、一花の弟・大樹(佐々木大光)がトマトを日にかざす。「姉ちゃんのトマト」だといって。

 いろんな色を象徴的に用いながら、二人の残された時間をまっすぐに描いていく。ド派手なストーリーで魅了するドラマが多い中で、こうして日常を演出によって美しく見せるドラマは魅力的に映った。巻物、というと古めかしいけど、水彩絵具で描かれた絵本を読んでいるような心地にさせてくれた。

ストーリーについても少し

 1話での「どうせなら喜んでよ」という萬木の言葉がどうも引っ掛かっていた。強めにいうなら「そんなこと言う人いる?」という疑問だった。

 でもそんな些細なやりとりが、一花の「それでも、すべてが無意味だったとしても、どうせなら喜ばないとね」というドラマ全体の主張に繋がっているとは思いもよらなかったのだ。一生は束の間だから、その一瞬の価値を決めるのはあなただよと言われたようだった。

 死にたくない、生きていたい、でも人は死んでしまう。そんなどうしようもない思いって、きっとどんな人にもある。この先どうせ自分はいなくなり、死後数十年もすれば自分の存在だって忘れ去られてしまう。どうすればいいんだろう。そうやって立ち止まりそうになるときがある。

 哲学者の池田晶子さんの著書で「ペットはいつか死んでしまうから飼わないという人は、いつか自分は死ぬから何もしないといっているようなものだ」的な考えを見たことがあるけれど、まさにそれなんだろうな、と思う(それでも私にはペットを飼うことができないけれど)。いつか死ぬから何もしないんじゃない。いつか死ぬからこそ、束の間に花を咲かせる。

さよならだけが人生ならば
また来る春はなんだろう
遥かなる地の果てに咲いている
野の百合はなんだろう
さよならだけが人生ならば
巡り会う日はなんだろう
やさしいやさしい夕焼けと
二人の愛はなんだろう
さよならだけが人生ならば
建てた我が家はなんだろう
さみしいさみしい平原に
灯す明かりはなんだろう
さよならだけが人生ならば
人生なんていりません

寺山修司「幸福が遠すぎたら」/ 萬木のナレーション

 この詩で伝えられたように、さよならだけが人生じゃない。例えそうだとしても、たぶん人は虚しさに抗って誰かと、何かと生きるだろう。一花が萬木を好きになったように。そして、萬木が一花に惹かれていったように。

おわりに

 SixTONESにハマって、きょもが出てるからと見たけど、なんかこれまで慣れ親しんだドラマではなく、30分の間で丁寧に日常を描き、細かなモチーフを使い、視聴者へ静かに気持ちを浸透させるような、そんな「ドラマ」だった。

 水に濡らしたキャンバスに絵具を垂らすと波紋が広がるように、見た人の心に沁みていくような演出が素敵だと思える作品。一気見も今度してみたいな。

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