【感想】俺の話は長い
自分はできる、と普段思っていても、ふとした瞬間に弱り、自信はたちまち影に潜んでしまう。うまく動けなくなったとき、どうしようもなく、自分がダメな人間であるような気がして苦しくなるのだ。
それでも、カラオケオールして、いつも通り仕事に行き、友だちと不安なことを共有していたら、いつの間にかそういう暗い気持ちが晴れていることに気づく。そんなに悪くないよ、自分。
そんな毎日に寄り添ってくれるようなドラマが、「俺の話は長い」だ。前に一回見て、最近見直したので感想を書きたい。
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岸辺満(生田斗真)は、6年間無職、いわゆるニートである。喫茶店を営む母・房枝(原田美枝子)と実家で二人暮らし。そんな中、満の姉家族がリフォームのため、3ヶ月間一緒に住むことになる。
各話で食べ物が出てきて、笑いがある中でちょっと感動するホームコメディである。なんといっても満の無尽蔵に織り成される屁理屈は魅力的だ。
かつてやっていたコーヒー専門店関連のものが入った段ボールを片付けろと姉・綾子(小池栄子)に言われると、「オレにとってあの段ボールは甲子園の土同然なんだよね」「じゃあ姉ちゃんは高校球児に甲子園の土捨てろって言えるの?」と反論する。明らかに満の言い分がおかしいと思いつつ、その饒舌な話しぶりに思わず納得しかける。
そんな会話劇と食卓の中、それぞれの心境はふとした拍子にこぼれ出る。このドラマの魅力の一つは、きっと登場人物のピュアさだろう。学校に行きたくないという綾子の娘・春海(清原果那)、音楽活動に未練を残す綾子の夫・光司(安田顕)。再婚だったため二人の仲はぎこちないものだった。
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(ここからはドラマのネタバレを含みます)
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他人から見たらささいなことでも、人はそれぞれ悩み、苦しみ、誰にも言うことができない辛さを抱えている。目に見えないそれらを共有するのは、やっぱりコミュニケーションなのだろう。
満が行きつけのバーのオーナーである明日香(倉科カナ)に振られ、ちょうど家に帰ったとき、春海が泣いて帰ってきて、「海まで車だして」と言う。
互いに辛いことがある。でもそれを過剰に外に出しはしない。他者は他者であり、いくら話したってすべてを理解してくれるわけではないからだ。
それでも、同じ苦しみを抱えて同じ海を見ることは、どんなに素敵なことだろう。私たちはずっと強くはいられない。時に悩み、苦しむ。けれど、それを経てなお誰かと一緒にいること、どこかへ行くこと、同じご飯を食べることが、心をふわりと軽くする。
最終話、春海が光司のことを「お父さん」と呼んだこと。満がスーツを着て歩くとき、光司がベースを弾いていること。第一話では考えられなかったことが起こる。人生もわりと、そういう節があると思う。
人はすぐに変わりはしない。この世界に劇的なきっかけも、衝撃的で運命的な出会いなんてないかもしれない。ゆるやかに繋がり合う関係性の中で、言葉を交わし、同じ空間をともにして、少しずつ変わっていく。そうして、結果的に見れば最初には思い描きもしなかった場所にたどり着くのだろう。
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綾子が光司に出したロールキャベツは感動的だった。改築後の、何もかも変わった家になっても、満が綾子にした約束は果たされる。実家でみかんを食べながら話した光司のささやかな願いは、満に話したことで叶えられる。
なんの気もなく話したことは、小さな呪いのように残り続ける。それがどんな形になって返ってくるかは、運次第なんだろう。
人生が最高だなんて、普段は考えられない。辛いことも苦しいこともてんこ盛りだ。それでも、誰かと愚痴りあい、一緒にご飯を食べて、なんにも解決しないまま夜がふける。どこかでわかっているのだ、今考えたってどうしようもないことを。だから時が来るまでじっと、あるいは誰かと過ごす。
そうやって迎えた朝は、認めたくないけど、ほんの少しだけ、人生って最高だ、と思ってしまうのだ。