【強くなる】→×感情的、×感傷的→線が太くなる。安岡正篤氏
およそ人々は善に対してはあまり感じません。悪に対して非常に強く感じます。
人間も概して悪人は強い。善人は弱い。
だから世の善人と悪人とをくらべてごらんなさい。
善人はたいてい引っ込み思案、消極的で、傍観的であり、団結しない。
自然の草木と同じように自ら生きる。ほかに待たないものです。
悪人は猛々しく深刻で、攻撃的積極的であり、必要に応じてよく団結します。
私は昔からいろいろの機会に力説してきましたが、悪人は一人でも「悪党」と言います。それじゃ善人をさして彼は「善党」だとは言いません。
悪党という語があっても善党という言葉は使わない。
だから悪党と善人では一応善人側が負けるものです。
善人にこの際最も大事なことは、善柔・善弱・善怯(きょう)ではなくて、
善にしてかつ強くなければならない。
パスカルは「正義が強いか、強いものが正義か、正しいものが強くなるか、強いものが正しくなるか、より外に人間は救われない」と言うておりますが、救われるためにはどうしても善人が強くならなければいけません。
強くなるためには、感情的、感傷的にならずに、線が太くならなければいけません。
※安岡正篤一日一言
不平不満グチを言っていると、その場の空間を支配しているように感じる。連帯感を感じるし、パワーがあるように思う。(その場だけ)
だけど、生き地獄。
善くなろう、善くありたい、と思うと、途端に、孤軍奮闘になる。
善くなろうと思うなら、感情的、感傷的にならない訓練をする。
人生の一つの答えが見つかった、と、雷に打たれたような衝撃を受けました。