[ 創作墨字-むすめ ] 母は娘の良いところをピックアップして愛で育て光り輝くまで磨く (写経継続146日 7クール20日)
「娘」の漢字の成り立ち:きらびやかな女性の象形と、穀物から良い物だけ選び出す器具の象形から「良い女・むすめ」を意味する「娘」という漢字が成り立ったそうです。
[ 創作墨字 むすめ ] :明るく温かいお日様のもと煌びやかで、光り輝く笑顔が素敵な女性に愛で育てるの意味を込めて創作しました。お日さまの「日」、「光」の上部と笑顔の「笑」の下半分を組み合わせ、お日さまの下いつもにこやかに光り輝く「女」を配置しました。
※以前創作した墨字「むすめ」を採用しています。(リライト作品です)
「#8月31日の夜に」に参加したくて、どうしようか迷いましたがこの[ 創作墨字 むすめ ] をリライトすることにしました。
💙💙💙💙
笑顔が見たいから
まだほんの小さなあなたを保育園に預けるのはとても気が引けた
初日はとにかく気が気でなく、仕事はほぼ手につかない
2日目3日目とどんどん慣れて行く
1週間もすると笑顔で手を振ってくれ
沢山の行事を映したビデオは元気な笑顔でいっぱいだ。
楽しみにしていた小学校だけど、初めはアウェイの中で戸惑っていた
なかなかお友達ができず、ちょっと嫌だったと思う
習い事に上手くハマってくれた!
もう学校でお友だちができなくても
勉強ができなくても
好きな事が見つかったからそれをやったら良い。
無理して学校に行かなくても良いと思っていたが
中学生になって、いざ本当に行けなくなったら内心とても慌てた。
どうして良いか皆目見当がつかない
なぜ行かないのか
なぜ行けないのか
あなたは言葉にできず
私は全く理解できない。
そのうちふと気付いた。
仲良しさんと中学校が離ればなれだった。
もしかしたら同じなら行けるのかな?
思い切ってちょうど同じ学区になるよう引っ越しした。
すぐに元気な笑顔が戻った。
好きなことに出会い、仲良しの親友ができ、
そして素敵な人と巡り逢う。
同じ人生を一緒に歩む人に出逢えるまで
光り輝く笑顔が見たくて
屈託のない笑顔を見るために
母は全力でサポートする。
満面の笑顔に出会ったら
いっぺんに疲れは吹っ飛び
極上の達成感なのか幸せ感なのか
天にも登る気分を味わえる
あの笑顔が見たい一心で頑張るのだ。
💙💙💙💙
振り返り
「娘は7ヶ月、1000グラム強で生まれてしまい、生きていてさえくれればいいし、正直なところ可愛くてしかたない。」
と書いてはみたものの、その上の娘は「男の子ですか?」と声をかけられるほど、可愛いとは言い難い赤ちゃんでしたが、その当時の私からはとても可愛いく見えていて、よそ様の赤ちゃんより絶対に全くもって、おおいに可愛いと心の底から信じてそれを疑わず育てました。
つまり、どの親御さんもうちの子は一番可愛いと思っているし、実際それが正解というか、それが正しい姿だと思うのです。
親がうちの子どもを可愛く思えばこそ、子どもは安心して自由に過ごせる家庭でのびのびと育つことができます。
でも、そうして育てた子どもだとしても、学校に行きづらくなることはあります。幸か不幸か我が家では1人の娘だけが登校を行き渋る時期がありました。
中学校に入学してGWが明けた頃、足を捻挫して何日間か休みました。その後元気に通学が続くことしか頭にはありませんでした。ところが4階の教室まで松葉杖で階段を登るのがしんどいという理由で行き渋りが始まったのです。学校側からはエレベーターを使って良いと許可が降りたのですが、自分だけエレベーターを使うのは嫌だとのたまい、そこが境界線ではっきりと「行けなく」なりました。
ありがたいことに捻挫が治っていくのと並行して担任がいろいろと働きかけをしてくれたおかげで夏休み前にはなんとか登校できるようになりました。
なのに、
夏休みがやってきてしまいました。
そうです、ご想像通りの夏休み明け。
・・・行けませんでした。
悪い予感は的中するものです。頑張ってがんばって登校してはみるけれど早退したり、よく時にはまた行けない。その繰り返しです。保健室登校の話もありましたが、逆に行けない気持ちに拍車がかかってしまったようでした。
こうなると母は無力です。家族総出でいろんな声がけをしましたが、暖簾に腕押しとはこのことか。。ってほどに、カスっと音が聞こえるような状況でした。
なんとか行ってくれないだろうか、だとか、なぜ行ってくれないんだろう、だとか、行ってないのが周りに知られたら恥ずかしい、だとか。
そんなことを少しでも心をかすめているうちはそれが娘にも伝わるらしく、娘も同じ気持ちから抜けることができなかったのかもしれません。
本当に心の底から「行けないなら行かなくていいよ」と思えたかといえば本当のところはわかりませんが、初冬を迎える頃また学校に行き始めました。
懸念した冬休み明けは、期間が短かったせいとクラスに居場所が確保されていたせいでしょうか、心配には及ばずスッと元通りの通学に戻ってくれました。
次の難関はクラス替えです。
力を尽くしてくれた担任が代わり、少し仲良しになれた友達は一緒だったもののやっぱりまた行けなくなりました。1年の担任から引き継いでくださったようですが相性もあるのでしょうか。夏休み前まで様子を見ましたが回復の兆しが見えなかったので、考えに考えて思い切って引っ越しをしました。
今でも親友関係が続いている小学校からの仲良しさんと同じ中学校に通える学区で、その後高校も大学も一緒に進学し青春を謳歌しました。←言い回しが古すぎですが、、、
今ではその親友と合わせるかのように、自分たちの子ども同士が同級生となるよう出産するほど仲良しぶりが続いています。
娘が中学1年の8月31日(うちは地方なので8月25日だったかな?)
あの日はとてもとても心が痛かったし、自分よりも娘の気持ちを思うと「行きたいのに行けない」「行けない自分が情けない」「ママにまた行けないのかってがっかりさせちゃうよ。」「あー、もうもう」みたいなグチャグチャな心の中だったろうと想像しています。
でも、きっと今となっては「あんなこともあったな」という心持ちでしょう。
だからなに?って思われるかもしれませんが、
私が創作墨字をつくることになったのも、もしかして「みんな違ってみんないい」という気持ちを、あの当時に腹落ちするところまで自分を持って行けなかったことの罪滅ぼしなのかもしれないし、今回この企画に参加しようと思ったこともそうなのかもしれません。
1人でも、あの時の私と同じようなお母さんの目に触れて、何か感じることがあって、少しでも何かのきっかけになれないかなと。
ただの自己満足かもしれませんが、それでも参加せずにはいられませんでした。
今の状況は、昨年までとまたガラッと変わってしまいました。ということは逆になんでもありって思えたりもするのではないのかな、なんてことをこれまた無責任と言われてしまうかもしれませんけれど、
みんな違ってみんないい。
この一言に尽きるのではないのかなと思う2020年8月末日の直前の夜です。
💙💙💙💙
(写経継続146日 7クール20日)
(参加中 #100日間連続投稿マラソン 60/100)
今日も最後まで読んでくださりありがとうございます! これからもていねいに描きますのでまた遊びに来てくださいね。