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皿の上に、僕がある。

ぼくが仕事として料理をはじめたのが、1988年。
お給料は税込み11万円で、保険など福利厚生は皆無、賞与なし、休みは当然のごとく週1日。ちなみに家賃は3万8千円だった。

このときの初任給で、ぼくは初めて料理書を2冊購入した。
「ぼくの美味求新」という食に関する随筆と「皿の上に、僕がある。」という料理写真集で、いずれも2022年暮れに37年の歴史に幕を下ろした「オテル・ドゥ・ミクニ」オーナーシェフ、三國清三さんの最初の書籍である(当時の表記は、「三国」さん)。

以前にもどこかで書いているけれど、ぼくがフランス料理を志したのは、高校生のときにテレビで見たとても刺激的なドキュメンタリー番組「若き天才シェフ 三国清三のフランス料理」(というタイトルだったと思う)がきっかけだった。だから最初に買う料理書は、この2冊と決めていた。

冒頭に述べた収入の時代に4200円もする写真集は、ぼくにとって何よりも宝物だった。そして購入した翌日からぼくは、必ずこの2冊を持ってお店へ出勤するようになった。
休憩時間がとれる日にはオープンキッチンのカウンターに座り、毎日写真集を食い入るように見て、何度も随筆を読んだ。
そんなぼくの横では、本屋さんから毎週配達されるジャンプ、サンデー、マガジン、スピリッツといった漫画雑誌をお師匠さんが読んで笑っているか、カウンターに突っ伏して寝てられるかのどちらかだった。

ある日、同じものばかり見ているぼくに呆れたのか、お師匠さんは漫画を閉じると「ちょっと、オレにも見せて」と言われるので写真集を手渡すとパラパラと流し見をし、こう言われた。

「わかったわ。西山にとって、これはエロ本と同じなんやな」

なんとも微妙な比喩表現ではあったけれど、言わんとされていることを汲み取ったぼくは、「そうです、そうです」とだけ返事をした。

「ぼくの美味求新」は、当時の三國さんのこだわりや食材についての考え方などが書かれていて、中には和の名店で「不味い」と口にしてしまったエピソードなど歯に絹着せぬ内容もあり刺激的でおもしろかったけれど、料理写真集はそれ以上に衝撃的だった。
ぼく世代前後でフランス料理人になられた方の中には、同じドキュメンタリー番組を見たことがきっかけだった人も多いのではないかと思う。また、ぼくがそうであったように、あの写真集でやはり衝撃を受けた料理人も多かったに違いない。

三國さんが東京 四谷に「オテル・ドゥ・ミクニ」を開業されたのが1985年。
ドキュメンタリー番組が放送されたのと「皿の上に、僕がある。」初版の刊行が翌年の1986年。
これ以降、テレビをはじめメディアがこぞって三國さんを「天才シェフ」と取り上げ、料理界における時代の寵児といった状況だった。
その後、ニューヨークを皮切りに世界各国でミクニ・フェアを開催され、いくつかのフェアの模様は、テレビのドキュメンタリー番組として放送された。無論、ぼくはすべて見ていたし、録画もした。

「この時代の三國さんの料理をいただいてみたかったな」と、今でも思う。
この頃の三國さんはとにかくメディアへの露出が多く、発言も、作られる料理も、そしてご本人もとても尖ってられた。そのためか当時、三國さんの料理は一部で賛否両論があったらしい。
しかし見てもらえばわかると思うけれど、写真集に載っている料理は40年近くも前のものとはとても思えないほど古さを感じさせない。それどころか、いま食べてみたいとさえ思う。

その後、最先端の料理を作られていた三國さんのスタイルは、時代を逆行するかのようにクラッシックへと向かわれた。原点回帰なのか、無論意図されてのことだと思うけれど、ぼくがいただいたときには、もうそういったスタイルになっていた。

食べてみたかったなぁ、尖りまくっていたころの三國さんのお料理。

つづく


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