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記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。

おとなとこども

※内容に触れています。ネタバレ回避したい方は読まないでくださいね






大人になると「ときめく」ことが減るから、時間が経つのが早く感じる…どこの何で読んだか忘れたが、そのように書いてあった。
いやいや、大人になった今だって十分ときめいてるぞ。私には星野源が居るし、最近は目黒蓮や松下洸平だって傍にいる。敬称略。

そういえば息子が3歳手前くらいの時、外に向けてデジカメのシャッターを切っていた。
「何を撮ってるの?」と尋ねると彼は「かぜ」と答えた。風で揺れる木々たちかと思ったら、そうではなくて。木々が揺れて聞こえる葉っぱの音で、風を感じ、その「風」を写真に収めようとしていたのだ。

勝てない。

こんなこと私には思いつかない。私の今思う「ときめき」はこんなんじゃないもん。

確かに子供の頃って、まだ知らないことが多いから、全力で驚くし全力で喜ぶし全力で悲しむし…。大人になると、いろんなことを知っていくから、それが「経験値」として積み重ねられていき…子どもの頃のような新鮮な「驚き、ときめき」は少なくなるのかもしれない。

私はありの行列にも足を止めていたし、カラスが空を飛ぶのが不思議でたまらなかったし、なんで水は透明なのかと疑問でならなくて、水道の水出しっぱなしで怒られたこともある(笑)いろんな「うわぁ♡」が生活に溢れていたな、そういや。

そんなことを考えていた時、あの「インサイド・ヘッド」の続編が公開されると知った。
しかし、タイトルこそ知っているが私は作品を真剣に見たことがなく、内容の理解ができるのか?と不安を抱えたまま映画館へ行き、息子と並んで座った。

前作で、主人公ライリーの感情として登場していたヨロコビ、カナシミ、イカリ、ムカムカ、ビビリ にくわえて、今作ではシンパイ、ハズカシ、イイナー、ダリィーの4つの感情が加わっていた。

私もそうだったなぁって。1つ歳を重ねていくごとに、将来…明日のことが「シンパイ」になる。どうしても友人や周りと自分を比べてしまい「イイナー」って思って、どうして私は(うちは)こうなんだろう?って疑問を持つ。みんなの前で先生に怒られて「ハズカシ」と思ったり、ちょっと背伸びして「ダリィー」と学校サボってみたり。

そして突如現れたこれらの感情を、どう扱っていいか分からず、本当に好きなものを好きと言えなかったり、ライリーのように親友のことを蔑ろにしたり、「怒り」としてぶつけてみたり。
これはもちろん、大人になった今でもあることで。ただ、その感情との向き合い方は学んでいけてる気がする。

この作品のすごいなーと思ったところは、人間の持つ感情というものの描き方が丁寧で分かりやすいものだったこと。きっと携わったスタッフさんが、感情というものを掘り下げてとことん向き合ったんじゃないかな、って。
これは前作からそうだったんだけど、ストーリーの中でもヨロコビとカナシミは表裏一体であること、この描き方がとても良いと思った。
(あと、ライリーはヨロコビが司令出してたけど、お母さんはカナシミが、お父さんはイカリが司令出してたところも興味深かった。)
楽しいことや喜びだけがあればいいのにって昔は思ってたけど、そうじゃないんだよね。どの感情も、どんな思い出も全部全部「今の自分」を作っているもので、大事なもの。

大人になるっていうことは、様々な感情のせめぎあいの中で生きていくってことなのかな。そこで沢山悩んで、沢山の選択をしながら、経験を積み重ねて「成長」していく。
そして、自分らしさ とはなにかを見つけていく。

"自分はもうダメだ"と"自分が好き"が、心の中に共存しているのは当たり前で、そのこと自体は責められるものではない。人間が必ず抱えている葛藤みたいなものを、そのまま持ってていいんだよって肯定してくれたような作品だった。

あの時、風の写真を撮っていた息子は今年15歳になり、まさに思春期。今このタイミングでこの作品を一緒に観れたことは本当に良かったと思う。どう感じたかは知らんけど。
私も子どもの頃のようなトキメキを忘れず、1つでも多くのヨロコビを見つけながら、素敵に歳を重ねていきたい。

と言いつつ、最近テレビに出てくる人の名前が思い出せなかったり、「あの時はさ~」ってナツカシが頻繁に登場したりしているんだよね。あぁ、歳を重ねるって怖い。

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