【私情】心配事を、夢に見る
年に一度
気持ちが悪い意味で前のめりになる
その浮き沈みが、
自分という暴れ馬の愛らしいところでもある
それは、祖父が死んでからと父が死んでからの
自分の番が迫っている感じから
きているのかもしれない
でも、全部父のせいにはできない
言っても、昔から浮き沈みは激しい
その星の下に生まれたのを恨んだりすると同時に
らしさだと飲み込む勇気もあったりして
だからって全部正解に思えないこともある
どうにでもなれと全部投げやりになりながら
人を傷つけ、人に心配をかけ、
わがままで自己中心的に生きてきたんだろうな
抜け毛が手にかかり、
大して痒くもないのに掻きむしり、
イヤホンが壊れたぐらいのことで、
靴紐の汚れを数えるように項垂れる
また東の海で生まれた台風がこちらに向かってくる
心も同じく、周りを巻き込む暴風と、
流行りの映画でも誘えないほどの大粒の涙を降らし、
周りに傘を強要させ、
近づくいとまも与えない
また大地が揺れ、海がその動揺を飲み込む準備をする
心も同じく、
大きな揺れに耐えきれない心のダムが
その壁を乗り越える助走を取り、
何もかも飲み込んでしまえと
自暴自棄になる
これだけ綺麗に表現したら、
報われると、許されると思っているのか?
綺麗と自画自賛している暇はあるのか?
本当は余裕なんだ
悲しみや孤独を勝手に演じてる
人を遠ざけることで、人を捕まえようとしてるんだ
駅のホームで自分にかかる雨飛沫を
少し気持ちよく感じるくせに
通知の溜まったラインを開いて
全部憂鬱に感じる、
生きづらい
喉仏まで来ている黒い塊
いつになったら吐き捨てられる?
いつになったらこの表現をやめられる?
いつになったら、全部精算できる?
上手く生きようとしてるからか、
下手なところが余計に絡まる、
本当の笑顔はどこにいった?
あなたに心配して欲しいわけじゃない
この表現は、自分を忘れないためだよね?
なのに、
書けば書くほど、
自分がわからなくなる
自分のこれからの選択を間違えないように
っていう考え方が間違っている?
欲望のままに生きる?
どこか保険をはって、
理性で生きてるふりをしてる
その先には何がある?
何もない
死んだら何がある?
何もない
なら、同じか?
違うよね
ねえ、今日は、なにも飼いたくないよ
どうすればいい?
本当に大丈夫?
ちゃんと上手くいく?
もっと明るく、前向きなことを書きたいなあ
君が羨ましい