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誰もやらない図書館の利用法
図書館を頻繁に使うのは、我が家における書物の侵攻を食い止めるためだ。
常に戦線はきわどいバランスにあって、気を抜いて侵攻を許した途端、我が家が書物に陥落する。
以前はそのことを「知の敗北」だと感じていた。
極めてちっぽけな知の敗北ではあるが。
書物は常に自分の手元にあって、必要なときに速やかに手に取れることが何より重要だと信じてきた。ゆえに書物が増えることに慄いてはいけない。
書物が増えることは喜ぶべきことだと思っていた。
それもスペースに余裕があればの話で、片付けをするたびに下駄箱の中から文庫本が出てきたり、洗剤の下にハードカバーの本が何冊も積み上がっているとさすがに考えも変わる。
どれだけ「本は重要」と言ったところで、自分の生活圏が脅かされるようになれば信条は光速で変わるのである。
借りて返す。
いくばくかの知識が残り、物質は増えも減りもしない。居住環境に余裕のない東京人にとって、なんと優れたシステムであることか。
最近は資料を借りるだけではなく、ただ書架を眺めるためだけにも図書館へ行く。ただ書架に並んだ本のタイトルだけをひたすら眺める。
どれだけ住居に恵まれていても図書館ほどの量は置けない。しかもすでに絶版になった書籍もうなるほど並んでいるのだからたまらない。ラインナップは新刊書店など比べ物にならない。
小説にどんなタイトルがつけられているか、何を題材に書かれているものが多いか、読みたくなるタイトルとイマイチなタイトルの違いは何か。書架の間をぐるぐると回りながら、そんなことを考える。
これが意外にいい。
同じ題材で書かれているものが多くあったり(切り口が違う)、針小棒大のものアリでなかなか面白い。
ついつい「オリジナルな題材を」と思いがちだけれど、現物を前に比較をしてみると、興味を持った対象ならお構いなしで書いちゃえばいいんだなと素直に思える。
今日はどういうわけかシャーロック・ホームズのパスティーシュが目についた。ざっとしか数えてないけど、軽く20作以上あった。しかも外国文学の棚にもいくつも見つけられる。
さすがあれだけあると、パスティーシュを書く側もどういう気分で書き始めるんだろうなと思ってしまうけれど、名探偵とアシスタントというのは、それぐらい使いたくなる構造なのかもしれない。
本能寺モノと信長モノも多かった。
大河ドラマにしてもそうだけど、信長周りの話は一定の需要があるんだろうな。
それほど斬新な見解やアイデアが簡単に浮かぶとも思えないけど。
(佐藤賢一の「信長は実は女性だった」ってのにはぶっ飛んだ)
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