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蒐集癖ではない、読書癖なのだ | Jul.28

久しぶりに村上春樹の「職業としての小説家」と再読した。
定期的に読みたくなる本が結構あって、これはそのうちの1冊。
このまま定期的再読本が増えて行くと、三年周期ぐらいでぐるぐると同じ本を読んでいれば人生足りてしまうような予感がしなくもない。
そうはならないのが読書の面白いところなのだけれど。

そういえば村上春樹のジャズのレコードコレクションはすごい量で、奥さんから「全部聴き直しても生きてる間に聴ききれないでしょ」と言われるぐらいだと、自身で書いていた。
読書家を自認する人の書棚も似たような状況のはず。
稀覯本の蒐集家のように集めることが目的なのではないのに、どういうわけか溜まる。全部を読み返すことなどあり得ないのに、それでも本は減るどころか、逆に増える。

幸いに僕は蒐集癖とは縁のない人生を送っているが、周りにはカメラだのなんだのと、すごい熱量で何かを集めている人が少なからずいる。
彼らをみるたびにあの欲と熱意はどこからやってくるのだろうと驚きと尊敬が入り混じった気分で思うのだけれど、僕にはちょっと計り知れないような何かに突き動かされているような感じがする。
取り憑かれているというほどの狂気ではなく、不要かといえば否定できるだけの必要性がちゃんとあり、でも実用的かどうかでいえば、それほどの実用性は見出せず……要するによくわからない。
経済的な裏打ちがあるからできるのは確かなのだが、彼らの目的が消費ではないことは一目瞭然。
「欲しくなる」という心理は僕には理解できない種類のものであるらしい。

反対に徹底的に所有しない、ミニマリズムみたいな生活を好ましく思うかといえば、そうでもない。
必要最低限と言いながら、僕の目には何もないも同然に見える。
あんながらんどうの部屋の中で暮らしていて楽しいのなら、刑務所の独房ですら好ましく思うんだろうかと、訝しく思ってしまう。

若い頃は、完璧に仕上げられたホテルの部屋の空っぽな感じを気持ちよく感じたこともあったけれど、あの無機質な感じは、今はやや苦手だ。
夏休みなど、都内のホテルを格安プランで予約して、2〜3日の間、ホテルから一歩も出ずに、ひたすら本を読むなんてことをやっていたのだが、部屋に入ってまず最初にやるのは、整えられた部屋を適当に散らかすことだった。

何もないから本を読むには最適なのだが、何もなさすぎると逆に読書にのめりこめない。そこで最初に適度に散らかすというわけだ。
時計を外し、壁に虫ピンで写真を何枚か止め、ベッドについているラジオをかける。冷蔵庫の中には買い込んできたチーズやら飲み物やらをぎゅうぎゅうに詰め込み、小さなデスクに持ってきた本を積み上げる。
そうして準備は完了するのだった。

そろそろ梅雨明け。
外出も控えた方が良さそうな状況で、自宅で本ばかり読んでいると、四半世紀経ってもやってることは変わらない。進歩のなさに若干呆れつつ、それを面白がってもいる。
まだ読んでいない本は世界中にたくさんあるのだ。

「職業としての小説家」を読んで、ふと思ったことを書こうとしていたのに、筆が全然違う方に向かってしまった。
これも成り行き任せの書き殴りの楽しさということで。

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