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ホームズ・シリーズの新訳版

自宅に本を置くにも限りがあるので、小説の類は大半を図書館のお世話になっている。
先日、たまたまシャーロック・ホームズの新訳が出ていることを知って、シリーズの数作を読み直してみた。ホームズを読むなんて小学生のとき以来だ。

フィリップ・マーロウのシリーズは清水俊二か村上春樹かみたいな選択の難しさはない。新訳の方が圧倒的に面白い。
慣れ親しんだ延原謙の翻訳には懐かしさはあるけれど、さすがに今、昭和20年代の翻訳を読むと違和感がある。
当時の一般的な日本語を知るには良いかもしれないが、語学的興味でシャーロック・ホームズを読む気もないし、そもそも明治25年生まれの延原さんの日本語は、一体いつの日本語なのかよくわからない。

僕が初めて読んだ頃ですら、発売からすでに20年以上経っていたのだから、当時、小学生の僕が読んで妙な古めかしさを感じたのも当然だ。
新潮文庫のカバーを見ても、縁側で爺ちゃんの話を聞かされてるみたいと感じた記憶が真っ先に蘇ってくる。
それが新訳ではちゃんといまの言葉にアジャストされていて、とにかく読みやすかった。半世紀近く経ってようやくホームズの面白さがわかった感触がある。

特に意識をしていたわけではないのだが、『〜冒険』と『〜回想』を読み終えたら、書店でやたらとホームズ・シリーズのオマージュ作品やパスティーシュが目に止まるようになった。
ホームズ自身を登場人物にしているもの、ホームズの末裔という設定のもの、ホームズというニックネームのもの、作家もイギリス人、アメリカ人、日本人作家等々、実に多い。中には「シャーロック」を「シャーロット」に変えて、女子高生になってたり。
1990年にコナン・ドイルの著作権が失効したことも、その後、パスティーシュ作品が作られた要因になっているんだろうか。
でも、どれもホームズ役とワトソン役がいる構造は同じで、バディものの原点なのかもしれない。

パスティーシュといえば、昔、東郷隆が書いたイアン・フレミングの「007シリーズ」のパスティーシュ作品が好きだった。
小説の中身はたわいないパロディなのだけれど、タイトルが秀逸で、『007は殺しの番号』をもじって『定吉七番は丁稚の番号』とか(丁稚ってなんだよ)、『カジノ・ロワイヤル』をもじって『角のロワイヤル』とか(どこの角だよ)、『女王陛下の007』を『太閤殿下の定吉七番』にしたりとか(太閤っていつの時代だよ)。とまあタイトル買いさせられてしまうものだった(中身はwikiあたりで読んでみてください。くだらないこと請け合い)。
今でも「定吉七番(セブン)は丁稚の番号」って声に出して言ってみると、なんだか妙に可笑しくなるんだけど。

ルパン・シリーズは「ルパン三世」の認知度が高すぎて、子孫を主人公にできないのか、ホームズと比べたらパスティーシュは圧倒的に少ない。
こちらもホームズ・シリーズ同様、子供だった僕が読んでいた頃からすでに古臭かったし、是非とも新訳で読みたいものだ。
原文はフランス語だから、適した翻訳者がいないのかな。

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樹 恒近
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