どうして無キャは生まれるのか?
こんばんは。
今回は何故無キャが生まれるのか考えてみようかと思います。
そもそも「無キャ」とは?
無キャという言葉に聞き馴染みのない方もいるかと思います。
無キャというのは、所謂ゆる「陽キャ」・「陰キャ」とかいうのに並列される分類だ。
以前の記事に特徴をまとめましたので見てくださると嬉しいです。
https://t.co/0HwEZHLpi2
そうとして端的に言えば、「何もない人」だ。
何もないが故に何かになろうとするもなれず、そのギャップに苦しみ自己嫌悪に陥ったり、何か知識に長けてることもなく何か趣味があるわけもなく無気力であるが故に周囲に人もおらずドンドン孤立していくという負のスパイラルだ。
無気力になる理由。
自己肯定感が特に関係してると思う。
私の場合、幼い頃から何をするにも否定から入られたりや中学時代に抱いたコンプレックスなど周りからの劣等感から自分がダメな存在とラベルを貼ってしまったこともあるかもしれない。
また、特徴として自分から誘ったり助けを求めたりすることができない。
普通、1人で出来ることにも限界があるから人に頼んだりして何か実現したりするはずだ。
でもそれができない。
どうして人に頼れないのか。
私の場合、「相手の迷惑になる」という認識が起因してるのではと思ってる。
その認識に辿り着くまでにも何か理由があるかも知れないが今回は割愛させていただきます。
振り返ってみれば、私も人の目を気にしてばかりだった。
「〇〇したら変な目で見られるんじゃないか」
「貧乏な自分は劣ってる、恥ずかしいことだ」
などと常に周りの目を気にしていた、それで「相手の迷惑になる」となってしまうのだろう。
これのよくない点は問題解決ができないことだ。
私の場合、自分の出身地をバカにされ、それ以来こもりがちになったが今振り返ればとっとと担任などに相談すれば良かったはずだ。
なのに、私は相談しなかった、それは担任にも知られるのが恥ずかしかったり、真っ先に頭をよぎったのは「こんなことで悩んでる自分を知れば先生は迷惑に思う」だ。
結果として私はその問題を1人で抱え込んだまま第三者からは理由も分からず不登校になってしまった。
こうしてずっと負のスパイラルは続き抜き出すことも出来ずもがき苦しむというようなカラクリ。
人に頼れるようになるには
では、どうすれば人に頼れるようになるのだろか。
こんな見出しを付けておいて何だが、全くもって私も分かりません....
今でも人に話すのは怖いし、頼るなんてできません。
まず、頼れるような人が周りにいません。
みなさんは人に頼れますか?どうやったら頼れますか?コメントしてくれると嬉しいです。
最後に
今回も読んでくださりありがとうございました。
これからも更新していくつもりですねよろしくお願いいたします。
みなさんの周りには頼れる人はいますか?周囲に恵まれてますか?
「イエス」と答えられる人はその人を大切にしてあげてください、僕にとっては最高に羨ましい存在です。