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【読書感想】生き地獄を語る女性たちの前で私はこの言葉を言えるのか/中村淳彦『私、毒親に育てられました』

出産後、自分が毒親育ちで、毒親は連鎖する傾向があると知ってから毒親本を読み漁ってきた。
実際に我が子に対し、憎き母親と似た言動を取っている自覚があった。血の繋がりが恐ろしかった。

毒親育ちと毒親連鎖に沼りかけていた自分の経験を、noteで書き始めてから数か月経った。書き始めたきっかけは、ノンフィクションライターの中村淳彦さんのVoicyを聴き、著作を読んだからだ。

今回は、中村淳彦さんの著書『私、毒親に育てられました』について、うまくまとめられず書きかけのまま放置していた感想を、改めて掘り起こしてみた。


毒親の定義は各々の毒親本によって微妙にニュアンスが異なるが、本書では毒親の定義を「子どもに悪影響を与える親のこと」としている。

実にシンプルなこの定義に沿って考えると、私の両親は間違いなく毒親だ。

・子どもが気づいているのを知って性行為を続ける両親
・怒鳴り合いの喧嘩ばかりする両親
・命令口調でいつも不機嫌な母
・自分の都合を最優先する母
・長男ばかり可愛がる母
・否定することや他人と比較することで自尊心を傷つけてくる母
・干渉と放置の両極端で惑わせる母
・気に食わないと大声で暴言を吐く父
・酔って母に暴力をふるう父
・愛人を作り家に帰らず、生活費をまともに入れない父

物心ついたときから、父の「金・女・酒・ギャンブル」が原因での、両親の怒鳴り合いが日常茶飯事だった。
自分勝手な父のせいで、パートをしながら3人の子どもをワンオペで育てる母は、常にストレスを抱えていてため息ばかり吐いていた。

「毒親」という言葉を知る前は、ただ単に「うちの両親は仲が悪い」「母は私のことが嫌い」と認識していた。私が子どもの頃は「虐待」なんて言葉もなかった。
私が住んでいた団地は、地域で一番の最下層民が住む場所で、暴力や喧嘩は特別なことではなかった。どの家庭も何かしら闇を抱えていた。だから、子どもの頃は自分の両親が異常だとは思っていなかった。

日本での毒親ブームは、ちょうど私が出産する少し前から始まった。
子どもが1歳になり、徐々に言葉を話し始め、行動範囲が広がると、私のコントロールが効かなくなった。だんだん、子どもにイライラすることが増えていき、そのイライラを言葉で子どもにぶつけるようになった。
そのときに私が発する言葉は、幼少期に聞いた母の言葉そのままだった。
そして、なにかで「毒親」という言葉を知り、これは母と私のことだと気づいたのだ。

『私、毒親に育てられました』は、私が読んだ毒親本の中ではかなり衝撃的な内容だった。過度な暴力、暴言、性的虐待、教育虐待によって生き地獄を経験してきた女性たちの悲惨な話が山ほどあって、眉間のシワが深く刻まれてしまうくらいに、痛切な思いで読み進めた。

・漢字が書けるようになった子どもに往復ビンタをする親
・子どもの親権を「いらないいらない」と無責任に押し付けあう両親
・性的虐待をする父と兄
・いくら謝罪を重ねても誠意がないと殴ってくる母親
・姉を強姦し、愛犬を殺めた父
・結託して虐待する祖母と母

上記以外にも想像をはるかに超えた壮絶な実体験がいくつも書かれている。
共通しているのは、親(と親族)が子どもに対して人間とも思わない極悪非道な扱いをしていることだ。

暴力は自尊心をひどく傷つける行為だ。
私は本書に出てくるような日常的な酷い暴力を親から受けたことはない。母からまれに小突かれたり、叩かれたりしたことがあるくらいだ。
たまに叩かれるだけでも傷ついたのだから、毎日信じられないくらいの暴力を受け続けたら、身も心も壊れるのは当然だ。中でも性暴力は自尊心を破壊する最たるものだと思う。

性的虐待に関しても、私は両親の性行為を何度も見せられただけで、行為そのものを強要されたわけではない。
決して裕福ではなかったが、習い事もしていたし、ライフラインや食べ物に困るようなことはあまりなかった。幼少期には、誕生日やクリスマスに父が寿司やケーキを買ってくることもあった。

だから、自分が毒親育ちだと公言することに躊躇いもある
「私の親なんかたいしたことないじゃん」と自分の被害者意識を否定する気持ちもある。
「せっかく産んで育ててくれたんだ、毒親なんて言うもんじゃない」と親を庇う人格もいる。

だけど、突然家を出てひとり暮らしを始めたのも、会社から関東への異動を打診されたときに迷いなく地元を出たのも、地元の男ではなく関東の男と結婚したのも、とにかく親から離れたかったからだ。
少しでも親の近くにいたら、親と関わったら自分の心が疲弊する。それくらい、親との関係に追い詰められていた。

それに、あれだけ結婚しないと言い切っていた私が結婚したのは、姓を変えたかったからだ。親の戸籍から抜けたかった。新しい姓で、新しい家族で、生き直したかった。できる限り親との繋がりを無くしたかったのだ。離婚しても旧姓に戻ることはしなかった。
でも、除籍しようが、物理的な距離が離れようが、血縁は切ることができない
それほどの苦しい思いがあったから、内心では躊躇しながらも、両親を「毒親」と呼び、こうして自身の経験を書き続けている。

数値で表すことができるわけではないが、本書に登場する女性たちの毒親レベルが10だとしたら、私の両親は2か3か、そういう体感だ。
私は鰹節のように薄く薄く削られたくらいのこと。彼女たちは、すり鉢に入れられ、砕かれ、粉々にすり潰されたようなものだ。残ったのは絶望だけ。

果たして、私は言えるのか。
絶望のなか、生き地獄を語る女性たちの前で、「私も毒親に育てられました」と。

言えるはずがない。
言えるはずがないけれど、レベルの違う土俵で、私は私なりに両親を毒親と認識している。自分が毒親の血を引いていることを、恐れている。


取材を通して中村氏が見出した「あなたが毒親にならないために」から一部抜粋して紹介したい。
終章の最後に書かれている内容はとくに、毒親・毒親育ちに関わらず、子どもを持つ親全員に読んでほしい。

・子どもが親の所有物ではないことを認識しろ
・娘を性欲の対象にするな
・男尊女卑ではなく男女平等の心を持て
・姉妹格差はダメ
・暴力はダメ
・過干渉はダメ
・支配してはダメ
・自分の夢を託してはダメ

 

子どもに共感し、興味を持ち、否定せずに傾聴することが重要だと中村氏は本書で記している。これだけで、親子関係が良好になると。

また、傾聴に関しては、中村氏の別の著書『悪魔の傾聴』も参考になる。

こちらでは、HHJの三大悪として、否定する・比較する・自分の話をするのは絶対にNGだと書かれている。
ビジネス書としての立ち位置で、初対面の人間関係に対するコミュニケーション術が記されているが、家族など近しい人間関係にも一部活用できる部分があると私は感じた。

この3か月、noteに自分の過去の経験と現在の言動をありのまま記すことで、自分自身を少しずつ俯瞰して見られるようになった。
明らかな変化を感じている。子どもにも「ママ、強く怒らなくなった」と言われるようになった。感情的に怒鳴り散らすことが少なくなった。
書けば書くほど、私を怒らせないでくれ、私の心を波立たせないでくれ、お願いだから母と同じ言葉を言わせないでくれ……と思い詰めることがだんだんと減っていった。

取材を受けた彼女たちの「毒親による犠牲者を減らしたい」という願いを無駄にしないため、本書を戒めのための育児書として、繰り返し読み続けていきたい。そして自分の経験を書いていきたい。
将来、自分の子どもが「私、毒親に育てられました」と言わずに済むように。


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