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【日録】2025.1.3 もぐらになりたい

通知オフ

 ここ3日、音声配信系、SNS系の通知をオフにしている。DMの通知だけオン。
 配信が更新されたとか、いいねがついたとか、コメントが来たとか、通知のたびにうっかり開いてしまうと、思ったより時間を費やしてしまう。自分が見たくて見てるのではない。なーんか、ずっと見てしまう。小さな機械に依存している。スマホをしまっておきたいが、仕事で使うのでそうもいかない。いしよわよわの私。時間に余裕ができたとはいえ、持て余すほどの時間はないのだよ、私。

母性は幻想

 母性=無償の愛、献身、自己犠牲のようなもの?「母性」にはずいぶん苦しめらている。
 女性には生まれつき母性が備わっているなんて幻想だ。それでいうと父性も幻。家父長的な社会が生んだ、女性に対する社会的な期待、家庭や育児に女性を縛りつけるための、耳障りのいい言葉。
 年末、母親が子ども3人を殺害して心中を図ろうとしたというなんともつらいニュースがあった。私も、何度か本気で考えたことがある。この件の背景をよく知らないので、自分の過去と安易に結び付けてはいけないが、死ぬ以外に自分と子どもを救う手立てがないと感じたことがある。
 親子心中の多くは母親が加害者だ。社会で、家庭で、母性の強要をしてないだろうか? 女性だから~、お母さんだから~、男だから~とか、属性で尊重することが誰かの足枷になるかもしれない。私はいつだって、その属性に縛られたくない。

穴があったら…

 待ちに待った奇跡の対談が開催された。

 うわー、かぜたみさんが中村さんと話してるよ。悪魔の傾聴だよ。でも、さすがかぜのたみさん、動じる様子がない。淡々と答えていらっしゃる。
 対談中、中村さんが私のnoteを取り上げてくださった。音読している。しかも結構な量を読んでいる。穴があったらというより穴を掘って、2日くらい入っていたい気分。天下のナカアツに読まれるなんて光栄かもしれないが、自分の書いたものを(しかも日記。捉えようによっては恋文)他人に音読されるって、かなり恥ずかしい。もぐらになって穴を掘りたい。アーカイブ聴きづらいな……。
 いやしかし、予想通りの神回。やはりかぜのたみさんはいい。孤独を愛し、自然体で生きている感じが。彼女のお話からはいつも、生きる上での気づきを得られる。かぜたみさんのようになりたい。でも絶対になれないのは、自分に向き合っていくとわかる。私は私でしかないから、いくら真似をしても誰かにはなれない。誰かと同じ場所、同じ家、同じ家具家電、同じ食事、同じ仕事、同じ資産、同じ時間の使いかた――をしても、感性や価値観を同じにはできない。誰かになろうとか、何者かになろうとか、無理なのよ。役所広司(平山)さんにもなれないのよ。尾石晴さんにもなれないのよ。なろうとしなくていいのよ。けれど今、私はもぐらになりたい。










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