自分のことを話すと泣いてしまうのは何故だろう:仮説編1
タイトルの通り、私は、自分のことを話すと泣いてしまう。
泣きたいわけじゃない。のに、涙が勝手に出てくる。本当に“勝手に”というのが正しい。私は泣いている。ただその涙は私の意思じゃない。
大学で受けた講義で精神科医の先生が、涙は「もう攻撃しないで」というメッセージだと言っていた。
いや、その意味の涙ではない。むしろその涙のせいで、相手がひるんでしまって、聞き出したいことが聞けなくなってしまう方が惜しい。
私は心理系の仕事をしているのだが、実習の時に、ある先生は、「(クライエントを)泣かせたら勝ちですよ」と言っていた。
つまり、心を開かせたという意味として、言っていたような気がする。なんとなく、わかった気でいた。
が、果たしてそうなのだろうか?私は心が開いたから泣いているのだろうか?だとしたら、開きっぱなしで、野ざらしの心を持ち歩くことになるではないか。それは,とても恐ろしい。
私の心の閉め方は自己流でやってきたのだ。
「誰にも開かないこと」、それだけだ。
それだけで,私の心は守られる。
だから、ひょんなことで他人に開かれてしまっても、一旦閉じてしまってからは開けたことがないので、閉じ方がわからない。
誰にも開かなければ,閉じたままでいようと思っていたのに、こじ開けられてしまった。誰かに私の本音を知られてしまった。
開けたなら、責任持って、閉じ方を教えてほしい。
勝ち負けとかどうでもいいから、とにかく、この野ざらしになった心を,この世界から守ってくれ、という気持ちでいっぱいだ。
心を,誰にも開かないことでしか守ってこられなかったのだ。
最近聞いた講義で、涙にはストレスを解消する成分が含まれると聞いた。
これまでの私は,自分のことを話すのが「辛いから」泣いていると決めつけていたが、その講義を聞いてからは、浄化している、とか、開き直って、自分のことを話す時に、泣きながら話していた。
しかしながら、もうすぐ30歳。このままでは、さすがに困るだろう。それで、私なりに答えと解決法を見つけ出そうともがいている。
google先生は使い方によっては,とても勉強になる。
この症状は私だけではないらしいこと、同じような悩みを抱えている人がいる(いた)ことがわかる。
この2012年とかに悩みを抱えていた人たちは,今どうしているんだろう?
仮説編2に続く。
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