いとさんが書いた文章だって私にはわかる
「通話したいんだけど、今日空いてる?」
夕方、そんなメッセージが携帯に届いた。相手は5歳の時からの友人だった。
そのとき取り組んでいたコミュニティの学習をちょうどいいところで切り上げ、彼女のメッセージにもすぐに「空いてるよ」と返事を返したのだった。
実際に通話を始め、彼女の近況を一通り聞いたところで、私も私の近況を彼女に話し始めた。
文章を書いたり、フリーランスという働き方がしたくて、情報発信を学んでいること。
最近は自分でも自分の文章を書く練習をしていること。
自分の見ている世界を文章にするのがとても楽しいこと。
はっきりと実例や私の作品を出しながら説明できれば良かったものの、そこまでするのはなんだか気恥ずかしくて、なんとなくぼかしながら話してしまった。それなのに。
「Twitterやってる?」
「えっ、うん」
「アカウント見つけたかも」
「うそ〜!」
いつか大切な友達の彼女には話そうと思っていたし、全然想定内ではあるんだけど……
その時がこんなに早く来るなんて、聞いてない。
「こんなことがやりたいんだ」と他の子に聞いてもらったことはあったけど、この子にはまだ、詳しいことは話していない。
長く友達をやっているからこそ、本気でやりたいことを話すのには勇気が必要だった。
どんな反応が返ってくるんだろうか……と、もう心臓はバクバク。
「あ、noteやってるんだ〜」
「ヤッテマス……」
「Twitterフォローしてもいい?」
「ド、ドウゾ……」
短い時間の中で、変な汗をかき、頭もきっとフル回転していたと思う。
何か考え事をする時、ついつい悪い方に考えてしまうのは私の悪い癖だ。
そんな中、彼女から返ってきた言葉は、予想外のものだった。
「結構伝えているけどさ、私はいとさんの書く文章好きなんだよ」
「うん」
「さっきもアカウント特定してから1つ記事読んだんだけど」
「あ、ありがとう」
「うまく言えないけど、なんかやっぱりきれいで好きなんだよね」
いとさんが書いた文章だって私にはわかる。なんとなくね。
彼女は私が文章を書き始めた頃から私の文章を読んでくれていて、何年か前からそうして文章を褒めてくれることが度々あった。
その度に私はもちろん喜んでいたし、嬉しさを噛み締めていたけど、今は何だかそのひとことの重みが違うような気がする。
私がいま、目的を持って書いている文章がちゃんと人に伝わっているとわかったようで。
こんな私も、私の文章を書いていいと肯定してもらえたみたいで。
以前とは比べ物にならないくらい、本当にとても嬉しかった。
最近はつぶやきだけで終わってしまう日も多いし、うまく文章に感情を乗せて、自分の中から捻り出せない時もあるし、文章が書けない理由なんていっぱい転がっている。
でもそれを毎日少しずつでも重ねていかなければ「私の文章が好き」だと言ってくれる、こんな嬉しい気持ちには出会えることはなかったのかもと思うと、それだけでも、まだたった20日の積み重ねでも大切なものだと思えた。
そんな気持ちを持ってもらえること、伝えてもらえることに感謝しながら、この嬉しいという気持ちをいつまでも忘れずにいたい。
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