過去の(不可解な)自分と向かい合う
お正月から勝負パンツの話である。お許し願いたい。
前回、勝負パンツの話を書いた。男性には(おそらく)勝負パンツはないが、女性には(おそらく)勝負パンツがある、と。
でも、よくよく考えてみれば、勝負パンツがある男性もいるし、勝負パンツがない女性もいるだろう。
パンツに気をつかうのは、見えないところにも心遣いがあるということなので、いいことなのかもしれない。それだけの精神的な余裕があるということは、ある意味、贅沢なことなのかもしれない。勝負パンツをどれにしようかと考える時間が、楽しいというひともいることだろう。私も、勝負パンツ(含下着)に気をつかうのはいいことだと思う。だが、そのために、時間をつかいすぎるのは、どうかと考えるタイプである。時間がもったいない、ということだ。
ちなみに、ネットで調べたところ、男のパンツでは、ボクサーパンツが女性には、好評だという。2番目がトランクスで、これは可もなく不可もなく。ブリーフは、絶対いやだということだが、ただし、有名ブランドのブリーフなら、可とのこと。
下着ではなく、服装についてだが、シェイクスピア「ハムレット」で、ポローニアスが旅立つ息子、レアティーズにこのようにいうせりふがある(第1幕第3場)
財布が許す限り、
着るものには金をかけろ
だが奇抜なのはやめておけ
上等なのはいいが派手なのはまずい
服装は人柄をあらわすものだからな
その点 フランスの王侯貴族は
趣味のよさと着こなしでは一番だ
服装は、そのひとの人格をあらすので、大事だということである。今日はどんな気分かな、どんな服装にしようかな、と考えるのは、意外と、心踊る時間なのかもしれない。一般的な勤め人としての私は、世間に後ろ指をさされない程度の服装でいいと思っているので、時間は、あまりかけない。おしゃれに気をつかわない。
さて、お正月である。
実家に帰った。いつも書棚を眺める。数十年前の時間のまま、凍結されている書棚である。それでも、眺めているうちに買った覚えのない本が収まっていることに気がつく。
これは、なんだろう。
たとえば吉村昭さん。
吉村昭さんの作品は、いま、ようやっと気になって、読んでいる最中である。
数十年前の私は、歴史小説やノンフィクション作品に興味が持てなかったのである。だが、そこにあるのだ。
映画化決定、と帯に印刷されている。話題になっていたので、買ったのだろうか。
不可解な気分である。
実家は、過去の(不可解な)自分と向かい合う時間でもある。
さて1月に、楽しみにしていること。視聴率が低迷しているといわれている月9のテレビドラマだが、今クールは、東村アキコさんの「海月姫」。これは、観なければ。東村先生のファンなので。
最後になりましたが、今年は、本を1冊、出したいと考えています。詳細は、後日。
今年も、どうぞよろしくお願いいたします。