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礼先生は、もうこの世にいない
9月22日
エッセイスト、翻訳家、英文学者の伊藤礼先生が亡くなった。90歳である。大学時代の恩師だった。
私の友人のなかで、もっとも先生に近しい友人から連絡がきた。
礼先生とは、近年は数年に一回程度、ご自宅に伺ってお話を聞いていた。ただ、用件があり、今年は前半、2回お邪魔した。ここ数年間、父親の伊藤整氏が残した日記の公刊にちからを注いでいた。「伊藤整日記」の他にも、原稿用紙の裏側に細かい字でびっしりと書かれた整氏の日記がまとまって残っており、どうしようかと思案していた。その日記は、どこかの文学館に寄贈することにした、と先生より聞いた。
「まだやり遂げていない仕事があるので死ねない」と先生は言っていた。書庫の整理を始めるために私に声がかかった。だが取りかかる前に亡くなられてしまった。かえすがえすも残念である。
書庫を整理する前に本をもらった。吉行淳之介氏の芥川賞受賞作「驟雨」で、謹呈伊藤整と書かれ、吉行氏の署名がついていた。吉行氏から整氏への贈呈本である。整氏は受賞時、芥川賞の選考委員だった。
「いいんですか? 大事な本なのでは?」
と私は先生に言った。
「いいよ」
と礼先生はあっさりと言った。
礼先生は首尾一貫して、ディレッタントだったと思う。いい意味で。その軽みはどこからきているのか。大学では英語や英文学を教えていたが、もともと出自が研究者ではなかった。大学や大学院で英文学を専門に研究していたわけではない。英文学を読み、翻訳もされていたが、やはり研究家ではなかったと思う。
だから興味のおもむくまま、好きなことをした。猟銃、囲碁、自転車と気ままにに興味の対象を変え、渡り歩いていった。
「今度天丼にしようと思う」
とかつて先生から言われたことがある。食のエッセイを書こうとしていたのだろう。
「天丼屋に行ったら、写真を撮って送ってよ」と先生から言われたので、カメラで撮影して、数点、郵送で送ったことがある。
「天丼はやめたよ。からだによくない」
と後日、先生から言われた。
私は、ええっ、となったが、先生は飄々としたものだった。
そのとき先生に送った写真の一枚に、池袋北口にある天丼ふじがある。
カウンターだけの汚い天丼屋。煤で汚れていて、昭和のにおいがぷんぷんする店だ(今も健在である)
天丼ふじの店の扉をあけるたびに、私は、礼先生のことを思い出す。ありありと。先生が、そこにいたことは一度もなかったのに。
礼先生は、もうこの世にいない。
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〇月〇日
雑誌「メフィスト」に載っていた読者参加型企画「推理の時間ですよ」に妻くんは応募した。
私はテレビの2サスですら犯人が当てられない人間だが、妻くんは真剣に観て犯人を推理している。
2サスの場合、俳優のランクで犯人の想像がついたりもするらしい。
というわけで、妻くんは今回も熱心に読んで推理して応募していた。
そしてこの度、妻くんはめでたく当選したのである。へえ。
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〇月〇日
決まって朝の定時に出勤するが、いつも路上に椅子を持ち出して、文庫本を読んでいる老人がいる。今日は本を読まずにぼんやり路上を見ていた。
どうしたのだろう。気になる。
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