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都会の人の話。
この間、少し思うことがあった。
都会の人が冷たいと言われる理由。
冷たいんだろうか?と。
生きるのに必死なんじゃないかな?と。
自分のことを思い返してみた。
上京したての頃、全ての情報に敏感で、全部新しくて、惹かれつつ、怖く、苦しく。そこから私は、その一つ一つを程よく無視する、シャットアウトするようになった。
電車の乗り方、駅で迷った時の抜け出し方、車内や街中を彩る情報たちとの向き合い方。
少しずつ知らないことが減って、気にしない方法を身につけて、自分のセンサー、レンズの度数を少しずつ弱くして、程よく受け取らないようになった。
人に当たられたっていつものことだから気にしない、感動も小さくなったから通りすがるようになる、ゴールがわかるようになったから歩みも早くなる。
そうやって「冷たい人」が出来上がるんじゃないかなと。冷たいんじゃなくて、本当は頑張って世界に適応しようと生きてきた結果なんじゃないかな、と。
そうだとしたら、少し優しい見方もできるような気がして。
私は間違いなく「冷たい人」として出来上がりつつある。3年間不得意な土地で私なりに術を身につけて生きてきた結果。仕方ないんだと思う、仕方ない。
だから、せめて関わる人くらいには優しくありたい。だから、これから出会う「冷たい人」のことも、関わる人に優しくするので精一杯な人なんだと思おう。
そうしよう。