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自分を幸せにそして自分の周囲を幸せに

少し前にブータンという国の幸福度が高いということが話題になった。
高知県ほどの大きさのこの国は経済成長に偏重せず国民が幸福感を持って暮らせる社会を目指すという考え方を基本としているらしい。

それに対して日本はどうか。残念ながら56位と世界第3位の経済大国ではあるが惨憺たる状況である。
幸せについてちょっとググっていたら面白い記事に出会った。

世界の幸福度ランキングでは下記の6つの項目についてアンケートを取られているそうだ。

1.人口あたりGDP
2.社会的支援(ソーシャルサポート、困ったときに頼ることができる人がいるか)
3.健康寿命
4.人生の選択の自由度
5.寛容かんようさ(過去1カ月の間にチャリティーなど寄付をしたかなど)
6.腐敗の認識(不満、悲しみ、怒りの少なさ、社会、政府の腐敗が蔓延まんえんしていないか)

この中で日本は寛容度と人生の選択の自由度が極端に低いということがランキングの低迷の理由だと結論づけられている。

人との繋がりが幸福度の上昇に大きくつながる。幸福度ランキングの上位の国はコロナ禍において仲間意識や連帯感がより増したことによって幸福度が高まったそうだ。


日本はどうかというと連帯感が高まったどころかさらに分断が深まったような状況である。

コロナ禍で溜まった鬱憤を全て政府のせいにしたり、Twitterでは叩くべき獲物を見つけた瞬間に袋叩きにする。
おそらく自分自身が我慢していることに対して、それを破るような人がいると寛容さを見失い攻撃的になるのだろう。昨年流行った自粛警察はその最たるものなのだと思う。

政府への批判は政治の自浄作用を促すために必要だと思うが人は自分が信じたい情報を信じるものだ。刺激するような見出しがメディアに踊ると一緒に踊らされる人があまりにも多いことにも気づかされた。

もちろんそんな人生の選択の自由度のない状況や寛容な精神のない場所で過ごしていると幸福度は高まるどころか下がり続けるだろう。
人の幸せを願う人よりも人の不幸を願っているような人が目立ってしてしまっている悪いスパイラルに陥っていると思うのだ。


私は日本の幸福度を上げることはできない。しかし自分の周囲の幸福度を上げることはできると思っている。

幸せというのはカタチはなくその人の捉え方次第である。
自分自身が幸せだと思えば幸せだし不幸だと思えば不幸にもなり得る。
お金持ちの人や社会的に名声を得た人が幸せだったかといえば必ずしもそうではなく不幸だと思い込んで自殺したりする人もいたということを聞く。

私自身は今幸せだ。
今日も何不自由なくゆっくり起床して、子供たちとゲームをして遊び、大好きな読書をしている時に妻が淹れてくれたアイスコーヒーを飲む。
子供の頃から好きだったカネ吉のコロッケを買ってきてこの後ビール片手に食べられると思うと至福の気分である。

そうやって一人一人がそれぞれの幸福を噛み締めて周りと共有することによって幸せは伝播するのではないだろうか。

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