短歌「ドラマ化も映画化もない平凡な夕日の補助線二人を繋ぐ」をコントにしてみると…

田舎の駅舎。
白髭しろひげの爺さん、トイレの個室内で用を足している。
青年、個室の外で順番を待っている。

青年「まだですか?もう5分くらい経ちますけど。そろそろ限界が…」
爺「まだじゃ」
青年「まだじゃって…。もうホント無理です漏れちゃいますよ」
爺「貴様が漏らそうが漏らすまいが、我が人生に一片の悔いなし」
青年「悔いなしって…この駅、ここしかトイレ無いんですよ」
爺「そうか」
青年「そうかって…。あ、ちょホントにヤバイ」

トイレの個室内からパンッ、パンッという音が聞こえる。

青年「さっきから変な音が聞こえますけど、何してるんですか?もう早く出て下さいよ!」
爺「若者よ、よく聞け。ドア1枚を隔て、聞き耳を立てられているワシの身にもなってみよ。出るものも出んわ!立ち去れぃ。ここは俗世にまみれた者の来る場所ではない」
青年「俗世にまみれたって…」
爺「神聖な場所ぞ!」
青年「わ、分かりましたよ。少ししたらまた来ますから。早く出て下さいよ?」
爺「…」

青年、その場を立ち去る。
5分後。
青年、お腹を抑えながら戻る。個室のドアを叩く。

青年「まさかまだ入ってます?」
爺「入っておる」
青年「マジかよ!もうホント無理ですって!何してんすかマジで」
爺「それが現代の若者の言葉遣い…乱れておるのぉ。言葉とは社会を作り出す源。これでは世も乱れるというもの。久しぶりに山から降りてきたと思えばこのザマじゃ」
青年「訳分からないこと言ってないで、早く出てきて下さいよ!」
爺「若者よ、どちらが状況的に上の立場か分かっておるか?」
青年「…す、すみません」
爺「それとな、戦っておるのは貴様だけではない」
青年「…どういうことですか?」
爺「虎穴に入らずんば虎子を得ず、じゃ」
青年「それはどういう?」
爺「最初から厳しい戦いになることはワシも十分承知しておった。しかれども、時として挑まねばならぬ時もあろう」
青年「まさか…紙…無いんですか?」
爺「(無言)」
青年「え?紙無いんですか?」
爺「そうじゃ。皆まで言わせるな。新品の下着を犠牲にするか、乾くのを待つか、逡巡しておるゆえ」
青年「マジすか?パンツなんてまた買えば良いじゃないですか!」
爺「なけなしの年金で買ったおニューの下着じゃ!唯一の楽しみである月1回のお買い物…イオンで買ったばかりの、おろしたての下着じゃ。それに下着は全部で3枚しか持っておらぬ。貴様にこの気持ちが分かるまい。そんな状況とも知らぬくせに、近くで祭りの如くはやしたてられ」
青年「(被せるように)だったら先言って下さいよ!僕、紙持ってますから」
爺「(個室内で顔を大きく横に振り固定、やや甲高い声で)なぁーにぃぃ?(大声で)本当か!!」
青年「本当ですよ」
爺「くれ!直ちに上から放り投げよ」
青年「嫌ですよ」
爺「はっ?なんと?」
青年「嫌です。個室から出て下さい。交代したら渡しますから」
爺「なんとこざかしい…年長者を愚弄するとは」
青年「今、どちらが上の立場でしょうか?」
爺「ぐぅ…このままだと…共倒れじゃ。それはお前も本望ではなかろう?だから紙を投げろ!早く!くれ!」
青年「"くれ"ですか?」
爺「おのれぇ若者め調子に乗りおって…く、くだ…クソぉぉぉ!こんな若造にこうべを垂れるなど言語道断!」
青年「言葉遣いが乱れてきましたね。てか、ホントに紙無いんですか?」
爺「あったら拭いておるわ!スマートフォン、ポケットwifi、ぷっちょしか持っておらん」
青年「持ち物は近代的なんですね」
爺「山暮らしには必須、三種の神器じゃ」
青年「なるほど。でも確かにそれじゃ何の役にも立たない」
爺「そうじゃ。ぷっちょを緩衝材に、スマートフォンとwifiをくっ付けてしばし眺める。そのようにして乾くのを待つことくらいしかできぬ」
青年「さっきの音…その音ですか!」
爺「そうじゃ」  

2人とも無言。
静寂の中、パンッ、パンッという音だけが響き渡る。
青年、身をぶるぶるさせる。

爺「若者、名をなんという?」
青年「聡太です」
爺「良い名じゃ」
青年「ありがとうございます」
爺「聡太よ」
青年「なんですか?」
爺「お主、良い声をしておるな」
青年「ありがとうございます」
爺「ひょっとして歌手」
青年「(被せるように)褒めてもダメですよ?」
爺「くそぉ!くそぉ!(壁を叩き小声で泣く)」
青年「泣いてます?お尻を拭けないくらいで泣きます?」
爺「違うわい。情けないんじゃ…世俗を捨て山に籠ったにも関わらず…己の情けなさに泣いておるのじゃ。ワシに未だ欲があったばかりに…」
青年「欲?」
爺「そうじゃ。もはや我が身に欲など皆無。そのように思っておった。だがどうじゃ?ワシに"拭きたい"、"おニューの下着を汚したくない"という欲があったばかりに…情けない」
青年「拭いてください」
爺「拭けたら拭いておるわ!」
青年「涙です」
爺「あぁ、そっちか。…聡太よ、人間とは無力じゃな」
青年「そうですね。分かります」
爺「本当の窮地に追い込まれた時、祈ることしかできん」
青年「はい」
爺「ワシに残された選択肢は2つじゃ」
青年「2つ?」
爺「そうじゃ」
青年「何ですか?」
爺「尻に付いた御守りを恨み、妬み、何が何でも取ってやろうという欲、執着、煩悩にまみれた修羅の道を進むか」
青年「進むか?」
爺「いつもより若干保湿できている、守られている、として感謝するか」
青年「真逆の2択ですね」
爺「岐路じゃな」
青年「どちらの道を選ぶのですか?」
爺「簡単なことよ」
青年「まさか?」
爺「当たり前じゃ。圧倒的に前者。圧倒的に前者で在りたい。ワシは今、心の底よりそう願っておる。何が何でも取る!力ずくで拭く!草でも新聞紙でも良いから迅速かつ丁寧に根こそぎぬぐう!そう思ってみるとあら不思議!生きる力がみなぎってくるではないか!欲とは生きる力の源だったのか!湧いてくる!湧き上がる血潮を感じるぞぉぉ!!」
青年「そう…ですか。歳を重ねても、山に籠っても欲は消えない、勝てないんですね」
爺「そうじゃ。まさかこのような形で己の欲と対峙するとはのぉ」
青年「紙…投げましょうか?」
爺「紙?ん?なぜそのような優しき言葉を…ま、まさかお主」
青年「ええ。既にふもとのダムは決壊しました。それはもう見事に」
爺「な、なんと…ワシはなんということを!前途ある若者を差し置き、我が老体を優先したばかりに…聡太、すまぬ…許してくれ聡太よ」
青年「いいんです。だいぶ序盤でケリはついてましたから。時には諦めることも大切…そう思います」
爺「…進化した人類じゃ。若者とは、我らより進化した人間を指す言葉なのか」
青年「進化なんてそんな」
爺「諦める…良き言葉じゃ。物事を明らかにし、進む方向を見定める。本来はとても前向きな言葉」
青年「そうですね。僕はもう迷わない」
爺「全力を出し切ったのか?」
青年「ええ。それはもう力のあらん限り」
爺「そうか。まさか若者を手本とする日がこようとは…よし!」

個室内からトイレの水が流れる音。
爺、個室から出てくる。

爺「待たせたな」
青年「まさか!いえ…ようこそ。いや、おかえりなさい」
爺「ただいま。聡太よ、しばし時間はあるか?」
青年「既に電車も行っちゃいました。時間ならたっぷりと」
爺「そうか。少し歩けるか?駅舎を出れば目の前は海じゃ」
青年「行きましょう」
爺「尻の爆弾は大丈夫か?」
青年「元陸上部なので大丈夫です」
爺「そうか…。…それはどういう意味じゃ?」
青年「自分でも分かりません」
爺「そうか。分からないことは分からないままにしておこう。それが1番じゃ」
青年「はい」

2人、胸を張り、並んで歩く。
2人ともやりきった表情。しかし、明らかに歩幅が狭く、何かを守るようにして歩いている。ペンギンのような歩調。
やがて、海岸に出るが、2人とも決して座ろうとしない。

爺「ちょうど夕日が沈むのぉ」
青年「綺麗ですね」
爺「太陽の光が海面に一直線に伸びておる」
青年「幻想的ですね」
爺「言葉は…いらぬな」
青年「ええ。まるで海面に伸びる夕日が補助線のようです」 
爺「補助線?」
青年「はい。解けない数学の問題と格闘し、やっと引くべき補助線を見つけたような気分です」
爺「ワシは文系だからさっぱり分からんが、聡太がそう言うならそうなんじゃろうなぁ」
青年「ええ。それにしても、一度漏らしてしまえば何てことはない。むしろ清々しいものですね」
爺「そうじゃのぉ。瞬間接着剤を発明した人の気持ちがよく分かる」
青年「そうですね。思えば赤ちゃんの頃は漏らすのが日常でした。今の方が非日常だったんだ。その事実に気付きました」
爺「紙を…投げないでくれてありがとう。ワシ、これからは積極的に欲をかこうと思う。それに…(聡太の肩にもたれかかり泣きそうになりながら)本当は山なんか降りてワンルーム探したかった…でもゔぅ…みんなワシのこと仙人とか言うから…それっぽく、できる限り寄せてゔぅ…」
青年「(爺の肩をしっかり支え)もう大丈夫ですよ。ワンルーム見つけましょ。僕は…諦めることも時にはいいかも、と思いました」
爺「お互い新たな門出じゃな。ゆっくり帰ろうか」
青年「そうですね」

2人、歩幅が狭いまま歩き出す。

爺「せっかく出会えたことじゃし小料理屋にでも…いや、ファミレス行く?パフェとステーキ食べたい」
青年「すみません、座るのはちょっと…」
爺「そうじゃった。立ち食い蕎麦は?」
青年「行きます!」
爺「立ち飲み屋もあるけど、蕎麦でいいか?」
青年「蕎麦でいいです。元陸上部なんで」
爺「そうか…再びよく分からないけど…分からないのも、なんかいいな」
青年「なんかいいですね」

暗転。

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