見出し画像

お布施・お賽銭は現金であるべき?

■○○ペイでの給与支払いが今年春に解禁!

日本経済新聞は、1月27日付の1面で「給与デジタル払い今春に」というニュースを報じました。
企業が従業員に対する給料を現金や銀行口座振込で支払うのではなく、「従業員のスマートフォンの決済アプリなどに振り込める」よう2021年の春から解禁する、という政府方針を報じたものです。

日本には、給与を「通貨払い」、つまり現金で支払わなくてはいけないという労働基準法第24条の規定があります。

労働基準法 第24条(賃金の支払)
賃金は、通貨で、直接労働者に、その全額を支払わなければならない。ただし、法令若しくは労働協約に別段の定めがある場合又は厚生労働省令で定める賃金について確実な支払の方法で厚生労働省令で定めるものによる場合においては、通貨以外のもので支払い、また、法令に別段の定めがある場合又は当該事業場の労働者の過半数で組織する労働組合があるときはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がないときは労働者の過半数を代表する者との書面による協定がある場合においては、賃金の一部を控除して支払うことができる。

法律では現金を従業員に渡すことを原則としていますが、国家公務員の給与支払事務効率化や、高度経済成長を支える銀行預金の確保を促す政策、ATMの前身となる現金自動支払機の普及を背景に、1970年代から上記条文但し書きが規定する「例外」の方法として、給与の銀行口座支払が拡大をしていきました。1968年に発生した3億円強奪事件が社会の機運を後押ししたとも言われています。

今回の記事に対してインターネットユーザーからは、スマホの故障やサイバー攻撃を懸念する声や、現金しか扱わない店舗などがあることやメリットがわからないことを不安視する声があります。

一方で、日払い・週払いの労働者が受ける恩恵や、銀行口座を開設しにくい外国人労働者の利点も指摘されています。

同じくインターネット上にあった意見が興味深く、昭和年代に現金支給が銀行口座振込に取って代わった時分にも、現金を手にするための手間や事務処理の不安で、受け入れない人が多くいたであろうことを指摘するものもありました。

いずれにしろ、今回の方針は、もはや止められないキャッシュレス化の流れのひとつ。どう抗っても、時間の問題だと私は考えます。


■「現金」の社会コストは年間1.6兆円

「現金」はたくさんのコストに支えられています。
野村総研のまとめでは、貨幣の製造に年間650億円、貨幣を流通させるための銀行の店頭設備に760億円、現金事務の窓口人件費に1000億円、ATMの警送や運営・設備に7000億円などなど……総額で年間1.6兆円のコストをかけて「現金」は支えられています。

銀行などがキャッシュレスに乗り出すのも、こうしたコストの削減を目指す取り組みの一環です。

これはもちろん、「企業が負担しているから私たちには関係ない」という話ではありません。そうしたコストは、私たちの税金や支払手数料から賄われるているわけです。しかしそこには雇用もあるので、このコストがイコール無駄であり、悪であるということではありません。


■お布施・お賽銭はどうか?

こうした世情の変化に、宗教界はどんな影響を受けるでしょうか?

これから先、現金を常時持ち歩く人が現在に比べて減少し、お布施やお賽銭をキャッシュレス決済で支払いたいという人が増加することは、容易に想像できます。

「お賽銭は現金であるべき」と主張する宗教者もいますが、喜捨が現金でなくてはいけない理由が、果たしてあるでしょうか。

現金に比べて、キャッシュレス決済はその物質性よりも情報記録が本質となることから、喜捨した人物の情報が残ることで、信教の自由が侵される可能性があると指摘する声もあります。しかし、国家権力による信教の自由が侵されるリスクよりも、多くの国民に「宗教者は市民に寄り添わない」、「宗教者は時代の羅針盤であるどころか、変化を嫌う保守勢力である」といったレッテルを貼られ、背を向けられることの方が、宗教界にとってのリスクではないでしょうか。

現金による喜捨を完全になくせということではなく、「100%現金」を強制している現状から脱却し、電子マネーを併用して使えるようにすることで、利用者が自由に選択できるようにすべきだと考えます。


■喜捨から手数料が抜かれること

お布施やお賽銭をキャッシュレス化することで、喜捨した金額から一定の手数料が決済事業者に渡ることに不条理を訴える宗教者の声を耳にします。

しかし、前述したように、現金も多くの社会的コストに支えられています。それが間接的であることから目に見えにくいだけのことであり、喜捨の気持ちを決済業者が横取りしているかのような表現は、視野が狭いと言わざるを得ません。


■時代の進むべき道を示す羅針盤に

宗教者は時代の変化に振り回されるのではなく、その進むべき道を示す羅針盤であってほしいと、私は願います。

テクノロジーによって進化していく我々の生活に、あるべき方向を示してほしい。

喜捨のキャッシュレス決済が実現するならば、宗教活動にどんな未来が拓けるのか、そんな明るい話を皆が望んでいるのではないでしょうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?