時間を守れない
まだ自分が鬱病だとも虐待サバイバーだとも知らず、ただ生きづらい毎日を必死で生きていた頃、毎日が過ぎて行くのが怖くて仕方なかった。
昨日も今日も生きるだけで過ぎてしまって、明日もただ生きるだけで過ぎることが分かっているから。
今日が昨日までの積み重ねの結果ではなく、昨日は昨日、今日は今日、明日は明日という日があるだけ。
明日になってみないと何時に起きられるか分からないし、約束の時間に約束の場所までたどり着くのが何時なのか分からない。
毎日が行き当たりばったり、一期一会のつぎはぎだった。
親切な人はアドバイスをくれる。
「遅刻するということは相手の時間を奪うことなんだよ」
その通りだと思う。
当時、どうにかして他人の時間を奪わないで済むように、普通の人なら普通にしてるように約束したかった。
しかし約束なんて守れない。守り方がわからない。皆はどうして時間通りに行動できるのか、自分はどうして約束の時間まで起きていられないのか、または起きられないのか。
「みんな眠くて仕方なくたって起きるんだよ」
親切な人は教えてくれた。
私は自分に甘くてだらしない、ダメ人間の怠け者だと、自分を責める他なかった。
25年後に分かることだが、「眠くて仕方なくたって起きる」みんなと、当時の私の眠さは比較にならない。
慢性的な難治性鬱病が改善して知ったのは、みんなが眠たがってる程度の眠さなら、私も起きられるということだ。
当時の私の眠さをたとえるなら、麻酔を打たれている状態と言える。
実際に全身麻酔を受けた際に思い出した感覚である。
麻酔を無理やり打たれて起きろ目を覚ませ、と言われている当時の自分は哀れだ。
ただ勿論、当時助言をくださった方々を責められない。
こんな事誰も知らなかったのだから。
私は普通の人が大いに勉強し、遊び、青春を謳歌している時間、ただただ眠っていた。
待ち合わせをして人を待ってみたかった。