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腹鳴恐怖症だった私と吃音症の娘NO.75 今日は母が亡くなって40回目の命日・・・
私の腹鳴恐怖症の始まりは40年前。
今日、9月18日は私のたった1人のお母さんが亡くなった日で、この日を境に、私は、笑わなくなった。
私が子供の時の話です。
毎年、9月18日は私は、忘れることができません。
母親が亡くなったことを、その当時、10歳で思春期だった私は、母親がこの世から居なくなった事を受け容れることができず、そのまま、大人になってしまいました。
もちろん、今だからこそ、受容れることができています。
その前も、家庭環境というものは、何度か、noteでも書いているので、あまり良くなかったのは、何となく、わかってくださってる方もいらっしゃるかと思います。
なので、この日を境にというのは、少し、嘘なのですが・・・
もう、母が亡くなって、40年も経ったのか、と自分が、あれから40年も生きてきたなんて、とても、凄いことだと今日、しみじみ思ったりして・・・
実家も今では、82歳の父親が1人。
昔は、養鶏場や、畑もやっていて、赤土に作る、ジャガイモや、さつまいもは、とてもホクホクして美味しかったなーなんて、思い出し・・・
実家の周りを少しだけ歩いてみた。
昔、鶏舎や畑のあった場所は久しぶりに見に行こうと行き始めると、草が生い茂ってもう、先には進めなかった。
昔は、じいちゃん、ばあちゃんや、子供たちである私たちも居たわけだけど、それなりの鶏舎や、畑、子育てと、考えてみればみるほど、それは、大変だったのではないかと、今更ながらに、真剣に思ってしまった。
40年という月日は、今思うとあっという間だったような気もする。
しかし、今日まで生きてきて、50歳という歳には毎日、どんな日も食べ繋いで今日という日まで生きてきた。
たった1人、がむしゃらに働いた時代もあったけど・・・
どんな時も、生きてきたから、今日がある。
いつも、叔父が、お墓掃除をしてくれるけど、昨日の台風もあってなのか、今年は遅いようだった。
叔父も父の少し下だから、そこそこ、歳も重ねてきている。
今日は、たまたま、主人が休みだったので、2人で、お花や、お供え物を買って実家に向かった。
私よりも、主人の方がよく動くなぁと、いつも思うのだけど・・・
こんな田舎の、私の実家のお墓の掃除を、テキパキとやってくれた。
私は嫁に来た、この家のお墓掃除は、定期的に行くけど、私の実家の墓掃除なんて、やってくれて、本当に有難うと言う言葉しか見つかりません。
おじさんも歳だから、俺たちがやらんといかんけどなーと言いながら、おじさんから、お墓掃除を取り上げるのもどうなのかと思いながら、帰ってきました。
毎日毎日、母の事を思ってと言うわけではないけど、今ある生活は、決してお金持ちではないけれど、生活にさほど困ることもなく生活できているので、それは、幸せということ。
きっと、母は、天国から、私たちの事も、見守ってくれているんだと思います。
今日は、少し立ち止まり、ちょっと、しんみりと思い出しました。
今日も、最後まで読んでいただき、ありがとうございました^ ^