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生きづらさを愛と光へ!NO.51 53歳の今の自分から、3年前の50歳の自分を振り返る。

人生を生かされて、進んでいくと、必ず分かることがある。

自分は、50歳まで、どちらかと言うと、どんよりとした人生を送って来たのかもしれない。

しかし、子ども時代が良くなかったとしても、実家を出て働き、結婚して子供を産み、育て、自分も歳を重ねていくと、それなりに楽しいことも沢山あった。
きっと、それと同じ位、キツイことはあったと思うが。

人生って、何が正解なのだろうか?と思う。 

いや、自分の選んできた人生全てが正解である。

子どもの頃、決して裕福とは言えない家庭だったし、母親は早くに亡くなり、父親は子育てには無関心で、人の気持ちは絶対にわからない人だった。
あまり良い家庭環境ではなかった。

50歳で私は奇跡的に自分のことを本当の意味で理解して下さるカウンセラーの先生と出逢った。

最近は一番期間を空けているので、自分が何か変な方向へいっているようで、急に早く先生に会いたくなった(変な方向と言うのは考え方が戻っちゃいないかってことだったり色々と…)
しかし、そう思っている時が一番楽しい、と言うか嬉しいのかもしれない。

遠足や、旅行に行く前の子どものように、ワクワクする気持ちがあることは確かで、まあ、ドキドキもする。
当日が来てしまうと、終わったという、少し寂しい気持ちもあるからだ。
程よい緊張感は、人間、大切である。

今の私があるのは紛れもなく、カウンセリングの先生からカウンセリングをしていただいたからである。

それまで支えてくれた、夫や家族、姉弟、友人、知人、地域の方々や、noteの世界でも沢山の方に出逢い、色々な学びをいただいております。
本当に、心より感謝しています。
ありがとうございます。

50歳までの自分の人生は、ずっとモヤの中にいるような、自分の気持ちをとても外に出せるような人生ではなかった。

しかし、今の自分も根本的には、気質、性格的には実は何も変わっていないのかもしれないが、言えることは、考え方が変わったということである。

考え方が変わったことにより、行動が変わった。
行動が変わったことにより、人生が変わると言うが、人生が変わると言う意味では、まだ、大きい変化は感じていない、まだ、その間(はざま)である。

50歳までが、他人軸で生きて来たので、どうも、人に依存し、人頼りのところがあったし、今でもまだ少し名残がある。

それが良いのか悪いのかと問われれば、半々かもしれない。


50歳から53歳まで、心理的に色々学んできて、結局、自分の人生は自分で責任もって生き抜くしかないということである。

確かに、身近な人の手助けや協力、アドバイスなどは大切なことかもしれないが、突き進んでみて、ちょっと違ったということはある。

やりたいことが明確であるのに、結局のところ、遠回りしているようでもある、しかし、人生とはそういうものなのかもしれない。 
そして、自分が思っているほど時間が経っていないのかもしれない。

若い時は、悩みはあったが、そこまで先のことを考えることもできなかったし、余裕もなかったし、不安もあった。

今はと言うと、別な意味で不安にはなる年齢になって来たことは確かである。

自分以外は他人(他の人)ということを、しっかり自覚することである。

しかし、この世に誕生して、やり残したこと、思うことはやはりチャレンジしたいという思いが当然ある。

何でも、やらないより、やりたいことがあればやってみたい、それは当然のこと。
やれる環境がないとやれないのであるが、まだ自分にはやれる環境は残されているように思う。

人生は、思うようにはいかないのが当たり前なのかもしれない。
何でもかんでも、自分の思い通りに行くなら、何の面白みもない人生に違いないし、人生に深みもない。

50歳までは、物質的に恵まれていることが当然幸せなことだと思っていた。
何故なら、裕福な家庭で育ってなかったからだ。

しかし、50歳でカウンセリングを受けさせていただいてからは、それが大きな間違いだったと気づく。

私は15歳から働きに出て、ずっと働くと心に決めていたが、実際は、子ども3人の出産と子育て、義母の介護で、仕事をずっと辞めずに続けることは困難になった。
それプラス地区の行事ごとにも、昔は今より厳しかったからだ。

私は仕事は本当は続けたかった。
と言うのが本当のところであるが、過去の人生を振り返っても、その余裕はどこにもなかった。
それが、その時の精一杯の答えであったはずだから。

うちはお金持ちじゃないから幸せじゃないと、子どもの頃から思っていたが、そうではなかった。

もし、50歳でカウンセリングをしていただいていなかったら、そのことにも気づかず、ただ、物を買うことで幸せだと勘違いし、自分や家族のことは大事に思うことがどこまでできていたかはわからない。

もちろん、仕事をバリバリしているのも、家庭を大事にする両親の考え方なのだと思う。

ただ、うちの家庭ではそれが難しかった。夫の仕事柄、それをしてしまうと家庭崩壊が起こったと思う。

定時に上がれる仕事ではないから。
それでも夫は家族の為に一生懸命毎日働いてくれている。
私もパートには何度か出たが、今は息子たちも大型連休には帰ってくる。
次男のお嫁さんも来るし、夫の姉弟やその子どもたちも、ほぼ毎回のようにうちに来る。
まあ、私が家にいるのもあるだろうけど、とは思う。

うちの場合、自分が働くと、かなり生活パターンが変わってしまうと思う。

物質的にと昔の私なら思っていたが、それも大事かもしれないが、それだけではないってこと。

やりたいことから若干外れているのだけれど、まあ今年いっぱいでどうにか軌道修正しようかと思う。

高いバッグや服などを欲しくなかったわけではない、と言うか、欲しいと思ったそんな時代もあったが、今はそうではない。
自分の家族や、大切な人、そんな人と共に生きながら、やりたいことをやり、みんなと年に数回会いながら、楽しい残りの人生を少しでもと思っている。

この環境に感謝しながら、先に進みます。


今日も最後までお読みいただき、心よりありがとうございます^ ^








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