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腹鳴恐怖症だった私と吃音症の娘NO.139 娘の吃音と一年近く、真剣に向きあい、思うこと。

昨日、1月28日(金)4月から娘が行くことになる中学校の入学説明会が行われた。

娘が楽しみに中学校に向かったり、制服の採寸や、シューズなどのサイズを測るときは、あ〜娘もやっぱ、中学生になるんだなぁと、しみじみ・・・

この成長を、小学校とも、おさらば、やっとだと思うよりも、寂しい気持ちも半分あったりして、複雑だし、楽しみでもあった。
親心ってやつだ。

娘の吃音が最初に気になりだしたのは、4歳頃だったが、本当に吃音をきっかけに学校を休みだしたのは、5年生の時だった。

この、5年生の途中から、1年近く、娘の吃音をきっかけに、自分の腹鳴恐怖症とも真正面から向き合ってきた。

全ては繋がっていて、病院や、児童デイサービスにお世話になって勉強した内容と、私がいつもお世話になっているカウンセリングの先生から学ぶことは、重なる部分がある。
全部じゃないが、全ては繋がっているらしいことを、ある人から聞いた。

まあ、確かにねと、納得する。

娘は、恐らく、YouTubeの影響というものが良い意味でとても大きく、中学生になることに対しては、今のところ、とても良いイメージを持っている。

中学生になると、今のように、長時間、YouTubeを見たり、オンラインゲームをしたりする時間は無くなるであろう、その中で、吃音に対してのストレスを、どうやって取り除くのかというのが私の思う心配なことの一つだ。

中学生になると、英語の時間が急に増えたり、いろいろなことが、ガラッと変わる。
中学生になると、一度リセットされるために、少し幼くなるらしいことを、中学校の先生が話された。

娘は発言の機会が多い、外国語(英語)は嫌いのようである。英語というより、発言なのだと思う。

今の時代は、生きづらさや、困り感を持った子供たちのことも色々な意味で配慮されたり、相談できたり、スクールカウンセラーの先生がいたり、通級があったりと、娘の行く中学校は、恵まれていると思う。

私は、娘が、中学生になることに対して、つまづくともつまづかないとも、思わないことにしている。

決めつけないということだ。

ただ、このnoteで、他の方の投稿を読ませていただき、考え方がかなり変わったというか、娘がどういう状況になったとしても、道はあるし、方法はきっと見つかると思っている。

私は、吃音の症状を持つ娘の親として、娘のためなら、どんなことでもやろうという気でいる。
一年前の私は決してそんなことはなかったと思う。

最近、私は51歳になったのだけど、誕生日の日、私はnoteをやっているおかげで、たくさんの方に、『お誕生日おめでとう!』のコメントや、LINEをいただいたり、誕生日ネタのnoteに、色々な方にスキを押していただいたりと、心が凄く幸せだと思える素敵な誕生日になりました。
ありがとうございました^ ^

誕生日の前日の投稿。
後々考えたら、単なる、予告編だと気づいた。
それはそれで良いことにしたけど、自分の誕生日に私はかなり感動していた。

まず、義母は、2年半ぶりに家に帰ってきて、娘の誕生日、私の誕生日、2回とも、一生懸命に、ハッピーパースデイの歌を歌ってくれていた。

それが、少し音程がズレてるなと思うところもあったのだけど、そこが、みょーに、おかしく、ちゃんと最後まで歌ってくれていたことに感動したのだった。

それから、娘は、私の誕生日の日に、明らかに、何か私にくれるのだろうなというような、いつもの、ギリギリな感じで、二階の自分の部屋で準備をしているようだった。
完全に、みえみえだったのだけど・・・
知らない顔をしていた私。

お年玉で何かを買ってきたわけでもないのだけど、自分が持っているものの中から、どうやら、綺麗な状態の小物?みたいなものと、手紙をハートのカンカンに入れてくれた。
それも、貰い物だから、賢いといえば賢い。
その手紙に書いていた内容は、一応、娘に公開して良いか許可をとっているので、簡単に・・・

その手紙というのは、少し、おちゃらけて明るめに書いてある、今時の女の子が書きそうなタッチで書かれていた。

簡単にまとめると、

今まで、色々なことがあったと思うけど、嬉しい出来事のその中にお父さんとの結婚、〇〇(娘)たち兄妹の誕生があったら嬉しいな。

いつも、〇〇(娘)のことを1番理解してくれているのがお母さんだと思う。
本当に力になっています。
ありがとう。

51歳誕生日おめでとう。
そしてここまで育ててくれてありがとう。
これからもよろしくね。
〇〇(娘)より

という内容でした。

これだけでも、ウルウルしたのですが、長男からも、ここ数年は、LINEでメッセージがきます。
私も息子の誕生日には必ずLINEメッセージを送るのですが。

お誕生日おめでとうから始まり、お母さんがいるから、おれたちがいる。
ばあちゃんや〇〇(娘)のことも、大変だと思うけど、なんでも話聞くよ。
支えられてる人もいるからね。
健康で過ごしてね。
と言う内容でした。
その後何度かLINEのやりとりは続きました。
長男にも公開の許可はとりました。

次男は、いつも、LINE通話するので、何度かかけてくれたみたいなのですが、その日、なんとなく、電話はあるかもしれないと思いながら、私は実弟と長電話をしていたので・・・

誕生日がらみでは全くないのですが、たまたまその日に話したのでした。

次の日に次男とは話したのですが。

電話に諦めた、誕生日当日は、次男は、誕生日おめでとう。
これからもよろしくね、と二言でしたが、その二言に、全てはこめられていました。
次男も毎年、電話なりLINEメッセージなりきます。
私も次男の誕生日には、LINEメッセージを必ず送ります、ここ数年。

娘の吃音と真剣に向き合い思うこと。

それは、私の考え方が変わったことで、家族も考え方が変わったこと、そして、離れていても、家族である絆を感じられることではないだろうか。

そして、思春期真っ只中の娘は、1年前までは、色々な相談を私にすることは少なく、いつも、イライラしていた。

私も娘のことを結局は否定し、受け容れることができていなかった。

しかし、それから、色々な葛藤がありながら、娘をひたすら肯定することをしてきた結果、娘と私の間には、信頼というものが生まれた。

あとは、自分しか押せない、心の内側にある、やる気スイッチを、いつ押すかになるだろう。

今日も、長くなりましたが、最後までお読みいただき、心よりありがとうございました^ ^








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